「この部屋は普段誰か這入っている所かね」
「普段は奥様がおります」
「それじゃ、昨夕、わたしが来る時までここにいたのだね」
「へえ」
「それは御気の毒な事をした。それで大徹さんの所へ何をしに行くのだい」
「知りません」
「それから」
「何でござんす」
「それから、まだほかに何かするのだろう」
「それから、いろいろ……」
「いろいろって、どんな事を」
「知りません」
会話はこれで切れる。飯はようやく了る。膳を引くとき、小女郎が入口の襖を開たら、中庭の栽込みを隔てて、向う二階の欄干に銀杏返しが頬杖を突いて、開化した楊柳観音のように下を見詰めていた。今朝に引き替えて、はなはだ静かな姿である。俯向いて、瞳の働きが、こちらへ通わないから、相好にかほどな変化を来たしたものであろうか。昔の人は人に存するもの眸子より良きはなしと云ったそうだが、なるほど人焉んぞさんや、人間のうちで眼ほど活きている道具はない。寂然と倚る亜字欄の下から、蝶々が二羽寄りつ離れつ舞い上がる。途端にわが部屋の襖はあいたのである。襖の音に、女は卒然と蝶から眼を余の方に転じた。視線は毒矢のごとく空を貫いて、会釈もなく余が眉間に落ちる。はっと思う間に、小女郎が、またはたと襖を立て切った。あとは至極呑気な春となる。
余はまたごろりと寝ころんだ。たちまち心に浮んだのは、
Sadder than is the moon's lost light,
Lost ere the kindling of dawn,
To travellers journeying on,
The shutting of thy fair face from my sight.
と云う句であった。もし余があの銀杏返しに懸想して、身を砕いても逢わんと思う矢先に、今のような一瞥の別れを、魂消るまでに、嬉しとも、口惜しとも感じたら、余は必ずこんな意味をこんな詩に作るだろう。その上に
Might I look on thee in death,
With bliss I would yield my breath.
と云う二句さえ、付け加えたかも知れぬ。幸い、普通ありふれた、恋とか愛とか云う境界はすでに通り越して、そんな苦しみは感じたくても感じられない。しかし今の刹那に起った出来事の詩趣はゆたかにこの五六行にあらわれている。余と銀杏返しの間柄にこんな切ない思はないとしても、二人の今の関係を、この詩の中に適用て見るのは面白い。あるいはこの詩の意味をわれらの身の上に引きつけて解釈しても愉快だ。二人の間には、ある因果の細い糸で、この詩にあらわれた境遇の一部分が、事実となって、括りつけられている。因果もこのくらい糸が細いと苦にはならぬ。その上、ただの糸ではない。空を横切る虹の糸、野辺に棚引く霞の糸、露にかがやく蜘蛛の糸。切ろうとすれば、すぐ切れて、見ているうちは勝れてうつくしい。万一この糸が見る間に太くなって井戸縄のようにかたくなったら? そんな危険はない。余は画工である。先はただの女とは違う。
突然襖があいた。寝返りを打って入口を見ると、因果の相手のその銀杏返しが敷居の上に立って青磁の鉢を盆に乗せたまま佇んでいる。
「また寝ていらっしゃるか、昨夕は御迷惑で御座んしたろう。何返も御邪魔をして、ほほほほ」と笑う。臆した景色も、隠す景色も――恥ずる景色は無論ない。ただこちらが先を越されたのみである。
「今朝はありがとう」とまた礼を云った。考えると、丹前の礼をこれで三返云った。しかも、三返ながら、ただ難有うと云う三字である。
女は余が起き返ろうとする枕元へ、早くも坐って
「まあ寝ていらっしゃい。寝ていても話は出来ましょう」と、さも気作に云う。余は全くだと考えたから、ひとまず腹這になって、両手で顎を支え、しばし畳の上へ肘壺の柱を立てる。
「御退屈だろうと思って、御茶を入れに来ました」
「ありがとう」またありがとうが出た。菓子皿のなかを見ると、立派な羊羹が並んでいる。余はすべての菓子のうちでもっとも羊羹が好だ。別段食いたくはないが、あの肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた煉上げ方は、玉と蝋石の雑種のようで、はなはだ見て心持ちがいい。のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、青磁のなかから今生れたようにつやつやして、思わず手を出して撫でて見たくなる。西洋の菓子で、これほど快感を与えるものは一つもない。クリームの色はちょっと柔かだが、少し重苦しい。ジェリは、一目宝石のように見えるが、ぶるぶる顫えて、羊羹ほどの重味がない。白砂糖と牛乳で五重の塔を作るに至っては、言語道断の沙汰である。
「うん、なかなか美事だ」
「今しがた、源兵衛が買って帰りました。これならあなたに召し上がられるでしょう」
源兵衛は昨夕城下へ留ったと見える。余は別段の返事もせず羊羹を見ていた。どこで誰れが買って来ても構う事はない。ただ美くしければ、美くしいと思うだけで充分満足である。
「この青磁の形は大変いい。色も美事だ。ほとんど羊羹に対して遜色がない」
女はふふんと笑った。口元に侮どりの波が微かに揺れた。余の言葉を洒落と解したのだろう。なるほど洒落とすれば、軽蔑される価はたしかにある。智慧の足りない男が無理に洒落れた時には、よくこんな事を云うものだ。
「これは支那ですか」
「何ですか」と相手はまるで青磁を眼中に置いていない。
「どうも支那らしい」と皿を上げて底を眺めて見た。
「そんなものが、御好きなら、見せましょうか」
「ええ、見せて下さい」
「父が骨董が大好きですから、だいぶいろいろなものがあります。父にそう云って、いつか御茶でも上げましょう」