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草枕 五 (4)

时间: 2021-02-07    进入日语论坛
核心提示: 砂川は二間に足らぬ小橋の下を流れて、浜の方へ春の水をそそぐ。春の水が春の海と出合うあたりには、参差しんしとして幾尋いく
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  砂川は二間に足らぬ小橋の下を流れて、浜の方へ春の水をそそぐ。春の水が春の海と出合うあたりには、参差しんしとして幾尋いくひろの干網が、網の目を抜けて村へ吹く軟風に、なまぐさ微温ぬくもりを与えつつあるかと怪しまれる。その間から、鈍刀どんとうかして、気長にのたくらせたように見えるのが海の色だ。

 この景色とこの親方とはとうてい調和しない。もしこの親方の人格が強烈で四辺(しへん)の風光と拮抗(きっこう)するほどの影響を余の頭脳に与えたならば、余は両者の間に立ってすこぶる円方鑿(えんぜいほうさく)の感に打たれただろう。(さいわい)にして親方はさほど偉大な豪傑ではなかった。いくら江戸っ子でも、どれほどたんかを切っても、この渾然(こんぜん)として駘蕩(たいとう)たる天地の大気象には(かな)わない。満腹の饒舌(にょうぜつ)(ろう)して、あくまでこの調子を破ろうとする親方は、早く一微塵(いちみじん)となって、怡々(いい)たる春光(しゅんこう)(うち)に浮遊している。矛盾とは、力において、量において、もしくは意気体躯(たいく)において氷炭相容(ひょうたんあいい)るる(あた)わずして、しかも同程度に位する物もしくは人の間に()って始めて、見出し得べき現象である。両者の間隔がはなはだしく懸絶するときは、この矛盾はようやく(しじんろうま)して、かえって大勢力の一部となって活動するに至るかも知れぬ。大人(たいじん)手足(しゅそく)となって才子が活動し、才子の股肱(ここう)となって昧者(まいしゃ)が活動し、昧者の心腹(しんぷく)となって牛馬が活動し得るのはこれがためである。今わが親方は限りなき春の景色を背景として、一種の滑稽(こっけい)を演じている。長閑(のどか)な春の感じを(こわ)すべきはずの彼は、かえって長閑な春の感じを刻意に添えつつある。余は思わず弥生半(やよいなか)ばに呑気(のんき)弥次(やじ)と近づきになったような気持ちになった。この(きわ)めて安価なる気家(きえんか)は、太平の(しょう)を具したる春の日にもっとも調和せる一彩色である。
 こう考えると、この親方もなかなか()にも、詩にもなる男だから、とうに帰るべきところを、わざと(しり)()えて四方八方(よもやま)の話をしていた。ところへ暖簾(のれん)(すべ)って小さな坊主頭が
「御免、一つ()って貰おうか」
這入(はい)って来る。白木綿の着物に同じ丸絎(まるぐけ)の帯をしめて、上から蚊帳(かや)のように(あら)法衣(ころも)を羽織って、すこぶる気楽に見える小坊主であった。
了念(りょうねん)さん。どうだい、こないだあ道草あ、食って、和尚(おしょう)さんに(しか)られたろう」
「いんにゃ、()められた」
「使に出て、途中で魚なんか、とっていて、了念は感心だって、褒められたのかい」
「若いに似ず了念は、よく遊んで来て感心じゃ云うて、老師が褒められたのよ」
道理(どうれ)で頭に(こぶ)が出来てらあ。そんな不作法な頭あ、()るなあ骨が折れていけねえ。今日は勘弁するから、この次から、()ね直して来ねえ」
「捏ね直すくらいなら、ますこし上手な床屋へ行きます」
「はははは頭は凹凸(ぼこでこ)だが、口だけは達者なもんだ」
「腕は鈍いが、酒だけ強いのは御前(おまえ)だろ」
箆棒(べらぼう)め、腕が鈍いって……」

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