返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 夏目漱石 » 正文

草枕 十二(2)

时间: 2021-03-09    进入日语论坛
核心提示: 余は常に空気と、物象と、彩色の関係を宇宙(よのなか)でもっとも興味ある研究の一と考えている。色を主にして空気を出すか、物
(单词翻译:双击或拖选)

 余は常に空気と、物象と、彩色の関係を宇宙(よのなか)でもっとも興味ある研究の一と考えている。色を主にして空気を出すか、物を主にして、空気をかくか。または空気を主にしてそのうちに色と物とを織り出すか。画は少しの気合(きあい)一つでいろいろな調子が出る。この調子は画家自身の嗜好(しこう)で異なってくる。それは無論であるが、時と場所とで、(おの)ずから制限されるのもまた当前(とうぜん)である。英国人のかいた山水(さんすい)に明るいものは一つもない。明るい画が(きらい)なのかも知れぬが、よし好きであっても、あの空気では、どうする事も出来ない。同じ英人でもグーダルなどは色の調子がまるで違う。違うはずである。彼は英人でありながら、かつて英国の景色(けいしょく)をかいた事がない。彼の画題は彼の郷土にはない。彼の本国に比すると、空気の透明の度の非常に(まさ)っている、埃及(エジプト)または波斯辺(ペルシャへん)の光景のみを(えら)んでいる。したがって彼のかいた画を、始めて見ると誰も驚ろく。英人にもこんな明かな色を出すものがあるかと疑うくらい判然(はっきり)出来上っている。
 個人の嗜好(しこう)はどうする事も出来ん。しかし日本の山水を描くのが主意であるならば、吾々(われわれ)もまた日本固有の空気と色を出さなければならん。いくら仏蘭西(フランス)の絵がうまいと云って、その色をそのままに写して、これが日本の景色(けいしょく)だとは云われない。やはり()のあたり自然に接して、朝な夕なに雲容煙態(うんようえんたい)を研究したあげく、あの色こそと思ったとき、すぐ三脚几(さんきゃくき)を担いで飛び出さなければならん。色は刹那(せつな)に移る。一たび機を(しっ)すれば、同じ色は容易に眼には落ちぬ。余が今見上げた山の()には、滅多(めった)にこの辺で見る事の出来ないほどな()い色が()ちている。せっかく来て、あれを(にが)すのは惜しいものだ。ちょっと写してきよう。
 (ふすま)をあけて、椽側(えんがわ)へ出ると、向う二階の障子(しょうじ)に身を()たして、那美さんが立っている。(あご)(えり)のなかへ(うず)めて、横顔だけしか見えぬ。余が挨拶(あいさつ)をしようと思う途端(とたん)に、女は、左の手を落としたまま、右の手を風のごとく動かした。(ひらめ)くは稲妻(いなずま)か、二折(ふたお)三折(みお)れ胸のあたりを、するりと走るや(いな)や、かちりと音がして、閃めきはすぐ消えた。女の左り手には九(すん)()白鞘(しらさや)がある。姿はたちまち障子の影に隠れた。余は朝っぱらから歌舞伎座(かぶきざ)(のぞ)いた気で宿を出る。

轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%

热门TAG:
[查看全部]  相关评论