余は常に空気と、物象と、彩色の関係を宇宙でもっとも興味ある研究の一と考えている。色を主にして空気を出すか、物を主にして、空気をかくか。または空気を主にしてそのうちに色と物とを織り出すか。画は少しの気合一つでいろいろな調子が出る。この調子は画家自身の嗜好で異なってくる。それは無論であるが、時と場所とで、自ずから制限されるのもまた当前である。英国人のかいた山水に明るいものは一つもない。明るい画が嫌なのかも知れぬが、よし好きであっても、あの空気では、どうする事も出来ない。同じ英人でもグーダルなどは色の調子がまるで違う。違うはずである。彼は英人でありながら、かつて英国の景色をかいた事がない。彼の画題は彼の郷土にはない。彼の本国に比すると、空気の透明の度の非常に勝っている、埃及または波斯辺の光景のみを択んでいる。したがって彼のかいた画を、始めて見ると誰も驚ろく。英人にもこんな明かな色を出すものがあるかと疑うくらい判然出来上っている。
個人の嗜好はどうする事も出来ん。しかし日本の山水を描くのが主意であるならば、吾々もまた日本固有の空気と色を出さなければならん。いくら仏蘭西の絵がうまいと云って、その色をそのままに写して、これが日本の景色だとは云われない。やはり面のあたり自然に接して、朝な夕なに雲容煙態を研究したあげく、あの色こそと思ったとき、すぐ三脚几を担いで飛び出さなければならん。色は刹那に移る。一たび機を失すれば、同じ色は容易に眼には落ちぬ。余が今見上げた山の端には、滅多にこの辺で見る事の出来ないほどな好い色が充ちている。せっかく来て、あれを逃すのは惜しいものだ。ちょっと写してきよう。
襖をあけて、椽側へ出ると、向う二階の障子に身を倚たして、那美さんが立っている。顋を襟のなかへ埋めて、横顔だけしか見えぬ。余が挨拶をしようと思う途端に、女は、左の手を落としたまま、右の手を風のごとく動かした。閃くは稲妻か、二折れ三折れ胸のあたりを、するりと走るや否や、かちりと音がして、閃めきはすぐ消えた。女の左り手には九寸五分の白鞘がある。姿はたちまち障子の影に隠れた。余は朝っぱらから歌舞伎座を覗いた気で宿を出る。