門を出て、左へ切れると、すぐ岨道つづきの、爪上りになる。鶯が所々で鳴く。左り手がなだらかな谷へ落ちて、蜜柑が一面に植えてある。右には高からぬ岡が二つほど並んで、ここにもあるは蜜柑のみと思われる。何年前か一度この地に来た。指を折るのも面倒だ。何でも寒い師走の頃であった。その時蜜柑山に蜜柑がべた生りに生る景色を始めて見た。蜜柑取りに一枝売ってくれと云ったら、幾顆でも上げますよ、持っていらっしゃいと答えて、樹の上で妙な節の唄をうたい出した。東京では蜜柑の皮でさえ薬種屋へ買いに行かねばならぬのにと思った。夜になると、しきりに銃の音がする。何だと聞いたら、猟師が鴨をとるんだと教えてくれた。その時は那美さんの、なの字も知らずに済んだ。
あの女を役者にしたら、立派な女形が出来る。普通の役者は、舞台へ出ると、よそ行きの芸をする。あの女は家のなかで、常住芝居をしている。しかも芝居をしているとは気がつかん。自然天然に芝居をしている。あんなのを美的生活とでも云うのだろう。あの女の御蔭で画の修業がだいぶ出来た。
あの女の所作を芝居と見なければ、薄気味がわるくて一日もいたたまれん。義理とか人情とか云う、尋常の道具立を背景にして、普通の小説家のような観察点からあの女を研究したら、刺激が強過ぎて、すぐいやになる。現実世界に在って、余とあの女の間に纏綿した一種の関係が成り立ったとするならば、余の苦痛は恐らく言語に絶するだろう。余のこのたびの旅行は俗情を離れて、あくまで画工になり切るのが主意であるから、眼に入るものはことごとく画として見なければならん。能、芝居、もしくは詩中の人物としてのみ観察しなければならん。この覚悟の眼鏡から、あの女を覗いて見ると、あの女は、今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする。自分でうつくしい芸をして見せると云う気がないだけに役者の所作よりもなおうつくしい。
こんな考をもつ余を、誤解してはならん。社会の公民として不適当だなどと評してはもっとも不届きである。善は行い難い、徳は施こしにくい、節操は守り安からぬ、義のために命を捨てるのは惜しい。これらをあえてするのは何人に取っても苦痛である。その苦痛を冒すためには、苦痛に打ち勝つだけの愉快がどこかに潜んでおらねばならん。画と云うも、詩と云うも、あるは芝居と云うも、この悲酸のうちに籠る快感の別号に過ぎん。この趣きを解し得て、始めて吾人の所作は壮烈にもなる、閑雅にもなる、すべての困苦に打ち勝って、胸中の一点の無上趣味を満足せしめたくなる。肉体の苦しみを度外に置いて、物質上の不便を物とも思わず、勇猛精進の心を駆って、人道のために、鼎に烹らるるを面白く思う。もし人情なる狭き立脚地に立って、芸術の定義を下し得るとすれば、芸術は、われら教育ある士人の胸裏に潜んで、邪を避け正に就き、曲を斥け直にくみし、弱を扶け強を挫かねば、どうしても堪えられぬと云う一念の結晶して、燦として白日を射返すものである。