「わたしもかきたいのだが。どうも、あなたの顔はそれだけじゃ画にならない」
「御挨拶です事。それじゃ、どうすれば画になるんです」
「なに今でも画に出来ますがね。ただ少し足りないところがある。それが出ないところをかくと、惜しいですよ」
「足りないたって、持って生れた顔だから仕方がありませんわ」
「持って生れた顔はいろいろになるものです」
「自分の勝手にですか」
「ええ」
「女だと思って、人をたんと馬鹿になさい」
「あなたが女だから、そんな馬鹿を云うのですよ」
「それじゃ、あなたの顔をいろいろにして見せてちょうだい」
「これほど毎日いろいろになってればたくさんだ」
女は黙って向をむく。川縁はいつか、水とすれすれに低く着いて、見渡す田のもは、一面のげんげんで埋っている。鮮やかな紅の滴々が、いつの雨に流されてか、半分溶けた花の海は霞のなかに果しなく広がって、見上げる半空には崢たる一峰が半腹から微かに春の雲を吐いている。
「あの山の向うを、あなたは越していらしった」と女が白い手を舷から外へ出して、夢のような春の山を指す。
「天狗岩はあの辺ですか」
「あの翠の濃い下の、紫に見える所がありましょう」
「あの日影の所ですか」
「日影ですかしら。禿げてるんでしょう」
「なあに凹んでるんですよ。禿げていりゃ、もっと茶に見えます」
「そうでしょうか。ともかく、あの裏あたりになるそうです」
「そうすると、七曲りはもう少し左りになりますね」
「七曲りは、向うへ、ずっと外れます。あの山のまた一つ先きの山ですよ」
「なるほどそうだった。しかし見当から云うと、あのうすい雲が懸ってるあたりでしょう」
「ええ、方角はあの辺です」
居眠をしていた老人は、舷から、肘を落して、ほいと眼をさます。
「まだ着かんかな」