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草枕 十三(4)

时间: 2021-03-09    进入日语论坛
核心提示: 胸膈(きょうかく)を前へ出して、右の肘(ひじ)を後(うし)ろへ張って、左り手を真直に伸(の)して、ううんと欠伸(のび)をするつい
(单词翻译:双击或拖选)

 胸膈(きょうかく)を前へ出して、右の(ひじ)(うし)ろへ張って、左り手を真直に()して、ううんと欠伸(のび)をするついでに、弓を()く真似をして見せる。女はホホホと笑う。
「どうもこれが癖で、……」
「弓が御好(おすき)と見えますね」と余も笑いながら尋ねる。
「若いうちは七分五厘まで引きました。()しは存外今でもたしかです」と左の肩を(たた)いて見せる。(へさき)では戦争談が(たけなわ)である。
 舟はようやく町らしいなかへ這入(はい)る。腰障子に御肴(おんさかな)と書いた居酒屋が見える。古風(こふう)縄暖簾(なわのれん)が見える。材木の置場が見える。人力車の音さえ時々聞える。乙鳥(つばくろ)がちちと腹を返して飛ぶ。家鴨(あひる)ががあがあ鳴く。一行は舟を捨てて停車場(ステーション)に向う。
 いよいよ現実世界へ引きずり出された。汽車の見える所を現実世界と云う。汽車ほど二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云う人間を同じ箱へ詰めて(ごう)と通る。(なさ)容赦(ようしゃ)はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまってそうして、同様に(じょうき)恩沢(おんたく)に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云う。余は積み込まれると云う。人は汽車で行くと云う。余は運搬されると云う。汽車ほど個性を軽蔑(けいべつ)したものはない。文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする。一人前(ひとりまえ)何坪何合かの地面を与えて、この地面のうちでは寝るとも起きるとも勝手にせよと云うのが現今の文明である。同時にこの何坪何合の周囲に鉄柵(てっさく)を設けて、これよりさきへは一歩も出てはならぬぞと威嚇(おど)かすのが現今の文明である。何坪何合のうちで自由を(ほしいまま)にしたものが、この鉄柵外にも自由を擅にしたくなるのは自然の(いきおい)である。(あわれ)むべき文明の国民は日夜にこの鉄柵に()みついて咆哮(ほうこう)している。文明は個人に自由を与えて(とら)のごとく(たけ)からしめたる後、これを檻穽(かんせい)の内に投げ込んで、天下の平和を維持しつつある。この平和は真の平和ではない。動物園の虎が見物人を(にら)めて、寝転(ねころ)んでいると同様な平和である。(おり)の鉄棒が一本でも抜けたら――世はめちゃめちゃになる。第二の仏蘭西革命(フランスかくめい)はこの時に起るのであろう。個人の革命は今すでに日夜(にちや)に起りつつある。北欧の偉人イブセンはこの革命の起るべき状態についてつぶさにその例証を吾人(ごじん)に与えた。余は汽車の猛烈に、見界(みさかい)なく、すべての人を貨物同様に心得て走る(さま)を見るたびに、客車のうちに()()められたる個人と、個人の個性に寸毫(すんごう)の注意をだに払わざるこの鉄車(てっしゃ)とを比較して、――あぶない、あぶない。気をつけねばあぶないと思う。現代の文明はこのあぶないで鼻を()かれるくらい充満している。おさき真闇(まっくら)盲動(もうどう)する汽車はあぶない標本の一つである。

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