「おれの云う事もやっぱり夢のごとしか。アハハハハ時に将門が気を吐いたのはどこいらだろう」
「何でも向う側だ。京都を瞰下したんだから。こっちじゃない。あいつも馬鹿だなあ」
「将門か。うん、気を吐くより、反吐でも吐く方が哲学者らしいね」
「哲学者がそんなものを吐くものか」
「本当の哲学者になると、頭ばかりになって、ただ考えるだけか、まるで達磨だね」
「あの煙るような島は何だろう」
「あの島か、いやに縹緲としているね。おおかた竹生島だろう」
「本当かい」
「なあに、好い加減さ。雅号なんざ、どうだって、質さえたしかなら構わない主義だ」
「そんなたしかなものが世の中にあるものか、だから雅号が必要なんだ」
「人間万事夢のごとしか。やれやれ」
「ただ死と云う事だけが真だよ」
「いやだぜ」
「死に突き当らなくっちゃ、人間の浮気はなかなかやまないものだ」
「やまなくって好いから、突き当るのは真っ平御免だ」
「御免だって今に来る。来た時にああそうかと思い当るんだね」
「誰が」
「小刀細工の好な人間がさ」
山を下りて近江の野に入れば宗近君の世界である。高い、暗い、日のあたらぬ所から、うららかな春の世を、寄り付けぬ遠くに眺めているのが甲野さんの世界である。