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虞美人草 三 (4)

时间: 2021-03-22    进入日语论坛
核心提示:「宇宙は謎(なぞ)である。謎を解くは人々の勝手である。勝手に解いて、勝手に落ちつくものは幸福である。疑えば親さえ謎である。
(单词翻译:双击或拖选)
 「宇宙は(なぞ)である。謎を解くは人々の勝手である。勝手に解いて、勝手に落ちつくものは幸福である。疑えば親さえ謎である。兄弟さえ謎である。妻も子も、かく観ずる自分さえも謎である。この世に生まれるのは解けぬ謎を、押しつけられて、白頭(はくとう)にし、中夜(ちゅうや)煩悶(はんもん)するために生まれるのである。親の謎を解くためには、自分が親と同体にならねばならぬ。妻の謎を解くためには妻と同心にならねばならぬ。宇宙の謎を解くためには宇宙と同心同体にならねばならぬ。これが出来ねば、親も妻も宇宙も疑である。解けぬ謎である、苦痛である。親兄弟と云う解けぬ謎のある矢先に、妻と云う新しき謎を好んで貰うのは、自分の財産の所置に窮している上に、他人の金銭を預かると一般である。妻と云う新らしき謎を貰うのみか、新らしき謎に、また新らしき謎を生ませて苦しむのは、預かった金銭に利子が積んで、他人の所得をみずからと持ち扱うようなものであろう。……すべての疑は身を捨てて始めて解決が出来る。ただどう身を捨てるかが問題である。死? 死とはあまりに無能である」
 宗近君は()椅子(いす)横平(おうへい)な腰を据えてさっきから隣りの(こと)を聴いている。御室(おむろ)御所(ごしょ)春寒(はるさむ)に、(めい)をたまわる琵琶(びわ)の風流は知るはずがない。十三絃(じゅうさんげん)を南部の菖蒲形(しょうぶがた)に張って、象牙(ぞうげ)に置いた蒔絵(まきえ)(した)気高(けだか)しと思う数奇(すき)()たぬ。宗近君はただ漫然と()いているばかりである。
 滴々(てきてき)と垣を(おお)(れんぎょう)()な向うは業平竹(なりひらだけ)一叢(ひとむら)に、(こけ)の多い御影の()()いを添えて、三坪に足らぬ小庭には、一面に叡山苔(えいざんごけ)()わしている。琴の()はこの庭から出る。
 雨は一つである。冬は合羽(かっぱ)(こお)る。秋は灯心が細る。夏は(ふどし)を洗う。春は――平打(ひらうち)銀簪(ぎんかん)を畳の上に落したまま、貝合(かいあわ)せの貝の裏が朱と金と(あい)に光る(かたわら)に、ころりんと()き鳴らし、またころりんと掻き乱す。宗近君の聴いてるのはまさにこのころりんである。
「眼に見るは形である」と甲野さんはまた別行に書き出した。
「耳に()くは声である。形と声は物の本体ではない。物の本体を証得しないものには形も声も無意義である。何物かをこの奥に(とら)えたる時、形も声もことごとく新らしき形と声になる。これが象徴である。象徴とは本来空(ほんらいくう)の不可思議を眼に見、耳に聴くための方便である。……」
 琴の手は次第に繁くなる。雨滴(あまだれ)絶間(たえま)()うて、白い爪が幾度か(こま)の上を飛ぶと見えて、(こまや)かなる調べは、太き糸の()と細き音を()り合せて、代る代るに乱れ打つように思われる。甲野さんが「無絃(むげん)の琴を()いて始めて序破急(じょはきゅう)の意義を悟る」と書き終った時、椅子(いす)(もた)れて隣家(となり)ばかりを瞰下(みおろ)していた宗近君は
「おい、甲野さん、理窟(りくつ)ばかり云わずと、ちとあの琴でも聴くがいい。なかなか(うま)いぜ」
椽側(えんがわ)から部屋の中へ声を掛けた。
「うん、さっきから拝聴している」と甲野さんは日記をぱたりと伏せた。

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