「宇宙は謎である。謎を解くは人々の勝手である。勝手に解いて、勝手に落ちつくものは幸福である。疑えば親さえ謎である。兄弟さえ謎である。妻も子も、かく観ずる自分さえも謎である。この世に生まれるのは解けぬ謎を、押しつけられて、白頭にし、中夜に煩悶するために生まれるのである。親の謎を解くためには、自分が親と同体にならねばならぬ。妻の謎を解くためには妻と同心にならねばならぬ。宇宙の謎を解くためには宇宙と同心同体にならねばならぬ。これが出来ねば、親も妻も宇宙も疑である。解けぬ謎である、苦痛である。親兄弟と云う解けぬ謎のある矢先に、妻と云う新しき謎を好んで貰うのは、自分の財産の所置に窮している上に、他人の金銭を預かると一般である。妻と云う新らしき謎を貰うのみか、新らしき謎に、また新らしき謎を生ませて苦しむのは、預かった金銭に利子が積んで、他人の所得をみずからと持ち扱うようなものであろう。……すべての疑は身を捨てて始めて解決が出来る。ただどう身を捨てるかが問題である。死? 死とはあまりに無能である」
宗近君は籐の椅子に横平な腰を据えてさっきから隣りの琴を聴いている。御室の御所の春寒に、銘をたまわる琵琶の風流は知るはずがない。十三絃を南部の菖蒲形に張って、象牙に置いた蒔絵の舌を気高しと思う数奇も有たぬ。宗近君はただ漫然と聴いているばかりである。
滴々と垣を蔽う連の黄な向うは業平竹の一叢に、苔の多い御影の突く這いを添えて、三坪に足らぬ小庭には、一面に叡山苔を這わしている。琴の音はこの庭から出る。
雨は一つである。冬は合羽が凍る。秋は灯心が細る。夏は褌を洗う。春は――平打の銀簪を畳の上に落したまま、貝合せの貝の裏が朱と金と藍に光る傍に、ころりんと掻き鳴らし、またころりんと掻き乱す。宗近君の聴いてるのはまさにこのころりんである。
「眼に見るは形である」と甲野さんはまた別行に書き出した。
「耳に聴くは声である。形と声は物の本体ではない。物の本体を証得しないものには形も声も無意義である。何物かをこの奥に捕えたる時、形も声もことごとく新らしき形と声になる。これが象徴である。象徴とは本来空の不可思議を眼に見、耳に聴くための方便である。……」
琴の手は次第に繁くなる。雨滴の絶間を縫うて、白い爪が幾度か駒の上を飛ぶと見えて、濃かなる調べは、太き糸の音と細き音を綯り合せて、代る代るに乱れ打つように思われる。甲野さんが「無絃の琴を聴いて始めて序破急の意義を悟る」と書き終った時、椅子に靠れて隣家ばかりを瞰下していた宗近君は
「おい、甲野さん、理窟ばかり云わずと、ちとあの琴でも聴くがいい。なかなか旨いぜ」
と椽側から部屋の中へ声を掛けた。
「うん、さっきから拝聴している」と甲野さんは日記をぱたりと伏せた。