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虞美人草 三 (9)

时间: 2021-03-22    进入日语论坛
核心提示:「なに、阿爺(おやじ)が生きているとかえって面倒かも知れない」「そうさなあ」と宗近君はなあを引っ張った。「つまり、家(うち)
(单词翻译:双击或拖选)
「なに、阿爺(おやじ)が生きているとかえって面倒かも知れない」
「そうさなあ」と宗近君はなあを引っ張った。
「つまり、(うち)を藤尾にくれてしまえばそれで済むんだからね」
「それで君はどうするんだい」
「僕は立ん坊さ」
「いよいよ本当の立ん坊か」
「うん、どうせ家を()いだって立ん坊、襲がなくったって立ん坊なんだからいっこう構わない」
「しかしそりゃ、いかん。第一叔母(おば)さんが困るだろう」
「母がか」
 甲野さんは妙な顔をして宗近君を見た。
 疑がえば(おのれ)にさえ(あざ)むかれる。まして己以外の人間の、利害の(ちまた)に、損失の塵除(ちりよけ)(かぶ)る、(つら)の厚さは、容易には(はか)られぬ。親しき友の、わが母を、そうと評するのは、面の内側で評するのか、または外側でのみ云う(りょうけん)か。己にさえ、己を欺く魔の、どこにか(ひそ)んでいるような気持は免かれぬものを、無二の友達とは云え、父方の縁続きとは云え、迂濶(うかつ)には天機を()らしがたい。宗近の(こと)は継母に対するわが心の底を見んための(かま)か。見た上でも元の宗近ならばそれまでであるが、鎌を()けるほどの男ならば、思う通りを引き出した(あと)で、どう引っ繰り返らぬとも保証は出来ん。宗近の言は真率(しんそつ)なる彼の、裏表の見界(みさかい)なく、母の口占(くちうら)一図(いちず)にそれと信じたる反響か。平生(へいぜい)のかれこれから()して見ると多分そうだろう。よもや、母から頼まれて、曇る胸の、われにさえ恐ろしき(ふち)の底に、詮索(さぐり)(おもり)を投げ込むような卑劣な振舞はしまい。けれども、正直な者ほど人には使われやすい。卑劣と知って、人の手先にはならんでも、われに対する好意から、見損(みそく)なった母の意を()けて、御互に面白からぬ結果を、必然の期程(きてい)以前に、家庭のなかに()()ける事がないとも限らん。いずれにしても入らぬ口は()くまい。
 二人はしばらく無言である。隣家(となり)ではまだ(こと)()いている。
「あの琴は生田流(いくたりゅう)かな」と甲野さんは、つかぬ事を聞く。
「寒くなった、狐の袖無(ちゃんちゃん)でも着よう」と宗近君も、つかぬ事を云う。二人は離れ離れに口を発いている。
 丹前の胸を開いて、違棚(ちがいだな)の上から、例の異様な胴衣(チョッキ)を取り下ろして、(たい)(なな)めに腕を通した時、甲野さんは聞いた。

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