世界は色の世界である。ただこの色を味えば世界を味わったものである。世界の色は自己の成功につれて鮮やかに眼に映る。鮮やかなる事錦を欺くに至って生きて甲斐ある命は貴とい。小野さんの手巾には時々ヘリオトロープの香がする。
世界は色の世界である、形は色の残骸である。残骸を論って中味の旨きを解せぬものは、方円の器に拘わって、盛り上る酒の泡をどう片づけてしかるべきかを知らぬ男である。いかに見極めても皿は食われぬ。唇を着けぬ酒は気が抜ける。形式の人は、底のない道義の巵を抱いて、路頭に跼蹐している。
世界は色の世界である。いたずらに空華と云い鏡花と云う。真如の実相とは、世に容れられぬ畸形の徒が、容れられぬ恨を、黒※郷裏[#「甘+舌」、72-14]に晴らすための妄想である。盲人は鼎を撫でる。色が見えねばこそ形が究めたくなる。手のない盲人は撫でる事をすらあえてせぬ。ものの本体を耳目のほかに求めんとするは、手のない盲人の所作である。小野さんの机の上には花が活けてある。窓の外には柳が緑を吹く。鼻の先には金縁の眼鏡が掛かっている。
絢爛の域を超えて平淡に入るは自然の順序である。我らは昔し赤ん坊と呼ばれて赤いべべを着せられた。大抵のものは絵画のなかに生い立って、四条派の淡彩から、雲谷流の墨画に老いて、ついに棺桶のはかなきに親しむ。顧みると母がある、姉がある、菓子がある、鯉の幟がある。顧みれば顧みるほど華麗である。小野さんは趣が違う。自然の径路を逆しまにして、暗い土から、根を振り切って、日の透る波の、明るい渚へ漂うて来た。――坑の底で生れて一段ごとに美しい浮世へ近寄るためには二十七年かかった。二十七年の歴史を過去の節穴から覗いて見ると、遠くなればなるほど暗い。ただその途中に一点の紅がほのかに揺いている。東京へ来たてにはこの紅が恋しくて、寒い記憶を繰り返すのも厭わず、たびたび過去の節穴を覗いては、長き夜を、永き日を、あるは時雨るるをゆかしく暮らした。今は――紅もだいぶ遠退いた。その上、色もよほど褪めた。小野さんは節穴を覗く事を怠たるようになった。