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虞美人草 十一 (7)

时间: 2021-04-17    进入日语论坛
核心提示: 数(すう)は勢(いきおい)である。勢を生む所は怖しい。一坪に足らぬ腐れた水でも御玉杓子(おたまじゃくし)のうじょうじょ湧(わ)
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 (すう)(いきおい)である。勢を生む所は怖しい。一坪に足らぬ腐れた水でも御玉杓子(おたまじゃくし)のうじょうじょ()く所は怖しい。いわんや高等なる文明の御玉杓子を苦もなくひり出す東京が怖しいのは無論の事である。小野さんはまたにやにやと笑った。
「小夜や、どうだい。あぶない、もう少しで(はぐ)れるところだった。京都じゃこんな事はないね」
「あの橋を通る時は……どうしようかと思いましたわ。だって(こわ)くって……」
「もう大丈夫だ。何だか顔色が悪いようだね。くたびれたかい」
「少し心持が……」
「悪い? 歩きつけないのを無理に歩いたせいだよ。それにこの人出じゃあ。どっかでちょいと休もう。――小野、どっか休む所があるだろう、小夜が心持がよくないそうだから」
「そうですか、そこへ出るとたくさん茶屋がありますから」と小野さんはまた先へ立って行く。
 運命は丸い池を作る。池を(めぐ)るものはどこかで落ち合わねばならぬ。落ち合って知らぬ顔で行くものは幸である。人の海の()き返る薄黒い倫敦(ロンドン)で、朝な夕なに回り合わんと心掛ける甲斐(かい)もなく、眼を皿に、足を棒に、尋ねあぐんだ当人は、ただ一重(ひとえ)の壁に(さえぎ)られて隣りの家に(すす)けた空を(なが)めている。それでも()えぬ、一生逢えぬ、骨が舎利(しゃり)になって、墓に草が生えるまで逢う事が出来ぬかも知れぬと書いた人がある。運命は一重の壁に思う人を終古(しゅうこ)に隔てると共に、丸い池に思わぬ人をはたと行き合わせる。変なものは互に池の周囲(まわり)を回りながら近寄って来る。不可思議の糸は闇の夜をさえ縫う。
「どうだい女連(おんなれん)はだいぶ疲れたろう。ここで御茶でも飲むかね」と宗近君が云う。
「女連はとにかく僕の方が疲れた」
「君より糸公の方が丈夫だぜ。糸公どうだ、まだ歩けるか」
「まだ歩けるわ」
「まだ歩ける? そりゃえらい。じゃ御茶は()しにするかね」
「でも欽吾(きんご)さんが休みたいとおっしゃるじゃありませんか」
「ハハハハなかなか(うま)い事を云う。甲野さん、糸公が君のために休んでやるとさ」
「ありがたい」と甲野さんは薄笑をしたが、
「藤尾も休んでくれるだろうね」と同じ調子でつけ加える。
「御頼みなら」と簡明な答がある。

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