小野さんは突然冗談を云う。にわかに景気が好くなった。
「団子を食っているところも見た」
「どこで」
「やっぱり嵐山だ」
「それっ切りですか」
「まだ有る。京都から東京までいっしょに来た」
「なるほど勘定して見ると同じ汽車でしたね」
「君が停車場へ迎えに行ったところも見た」
「そうでしたか」と小野さんは苦笑した。
「あの人は東京ものだそうだね」
「誰が……」と云い掛けて、小野さんは、眼鏡の珠のはずれから、変に相手の横顔を覗き込んだ。
「誰が? 誰がとは」
「誰が話したんです」
小野さんの調子は存外落ついている。
「宿屋の下女が話した」
「宿屋の下女が? 蔦屋の?」
念を押したような、後が聞きたいような、後がないのを確かめたいような様子である。
「うん」と宗近君は云った。
「蔦屋の下女は……」
「そっちへ曲るのかい」
「もう少し、どうです、散歩は」
「もう好い加減に引き返そう。さあ大事の紙屑籠。落さないように持って行くがいい」
小野さんは恭しく屑籠を受取った。宗近君は飄然として去る。
一人になると急ぎたくなる。急げば早く孤堂先生の家へ着く。着くのはありがたくない。孤堂先生の家へ急ぎたいのではない。小野さんは何だか急ぎたいのである。両手は塞っている。足は動いている。恩賜の時計は胴衣のなかで鳴っている。往来は賑かである。――すべてのものを忘れて、小野さんの頭は急いでいる。早くしなければならん。しかしどうして早くして好いか分らない。ただ一昼夜が十二時間に縮まって、運命の車が思う方角へ全速力で廻転してくれるよりほかに致し方はない。進んで自然の法則を破るほどな不料簡は起さぬつもりである。しかし自然の方で、少しは事情を斟酌して、自分の味方になって働らいてくれても好さそうなものだ。そうなる事は受合だと保証がつけば、観音様へ御百度を踏んでも構わない。不動様へ護摩を上げても宜しい。耶蘇教の信者には無論なる。小野さんは歩きながら神の必要を感じた。