「どうせ女には敵わない」と甲野さんは断案を下した。
池の水に差し掛けて洋風に作り上げた仮普請の入口を跨ぐと、小い卓に椅子を添えてここ、かしこに併べた大広間に、三人四人ずつの群がおのおの口の用を弁じている。どこへ席をとろうかと、四五十人の一座をずっと見廻した宗近君は、並んで右に立っている甲野さんの袂をぐいと引いた。後の藤尾はすぐおやと思う。しかし仰山に何事かと聞くのは不見識である。甲野さんは別段相図を返した様子もなく
「あすこが空いている」とずんずん奥へ這入って行く。あとを跟けながら藤尾の眼は大きな部屋の隅から隅までを残りなく腹の中へ畳み込む。糸子はただ下を見て通る。
「おい気がついたか」と宗近君の腰はまず椅子に落ちた。
「うん」と云う簡潔な返事がある。
「藤尾さん小野が来ているよ。後ろを見て御覧」と宗近君がまた云う。
「知っています」と云ったなり首は少しも動かなかった。黒い眼が怪しい輝を帯びて、頬の色は電気灯のもとでは少し熱過ぎる。
「どこに」と何気なき糸子は、優しい肩を斜めに捩じ向けた。
入口を左へ行き尽くして、二列目の卓を壁際に近く囲んで小野さんの連中は席を占めている。腰を卸した三人は突き当りの右側に、窓を控えて陣を取る。肩を動かした糸子の眼は、広い部屋に所択ばず散らついている群衆を端から端へ貫ぬいて、遥か隔たった小野さんの横顔に落ちた。――小夜子は真向に見える。孤堂先生は背中の紋ばかりである。春の夜を淋しく交る白い糸を、顎の下に抜くも嬾うく、世のままに、人のままに、また取る年の積るままに捨てて吹かるる憂き髯は小夜子の方に向いている。
「あら御連があるのね」と糸子は頸をもとへ返す。返すとき前に坐っている甲野さんと眼を見合せた。甲野さんは何にも云わない。灰皿の上に竪に挟んだ燐寸箱の横側をしゅっと擦った。藤尾も口を結んだままである。小野さんとは背中合せのままでわかれるつもりかも知れない。
「どうだい、別嬪だろう」と宗近君は糸子に調戯かける。