「はああ、そうか。亡国の菓子じゃなかったかね。とにかく阿爺は西洋菓子が嫌だよ。柿羊羹か味噌松風、妙なものばかり珍重したがる。藤尾さんのようなハイカラの傍へ持って行くとすぐ軽蔑されてしまう」
「そう阿爺の悪口をおっしゃらなくってもいいわ。兄さんだって、もう書生じゃないから西洋菓子を食べたって大丈夫ですよ」
「もう叱られる気遣はないか。それじゃ一つやるかな。糸公も一つ御上り。どうだい藤尾さん一つ。――しかしなんだね。阿爺のような人はこれから日本にだんだん少なくなるね。惜しいもんだ」とチョコレートを塗った卵糖を口いっぱいに頬張る。
「ホホホホ一人で饒舌って……」と藤尾の方を見る。藤尾は応じない。
「藤尾は何も食わないのか」と甲野さんは茶碗を口へ付けながら聞く。
「たくさん」と云ったぎりである。
甲野さんは静かに茶碗を卸して、首を心持藤尾の方へ向け直した。藤尾は来たなと思いながら、瞬もせず窓を通して映る、イルミネーションの片割を専念に見ている。兄の首はしだいに故の位地に帰る。
四人が席を立った時、藤尾は傍目も触らず、ただ正面を見たなりで、女王の人形が歩を移すがごとく昂然として入口まで出る。
「もう小野は帰ったよ、藤尾さん」と宗近君は洒落に女の肩を敲く。藤尾の胸は紅茶で焼ける。
「驚ろくうちは楽がある。女は仕合せなものだ」と再び人込へ出た時、何を思ったか甲野さんは復前言を繰り返した。
驚くうちは楽がある! 女は仕合せなものだ! 家へ帰って寝床へ這入るまで藤尾の耳にこの二句が嘲の鈴のごとく鳴った。