紫を辛夷の弁に洗う雨重なりて、花はようやく茶に朽ちかかる椽に、干す髪の帯を隠して、動かせば背に陽炎が立つ。黒きを外に、風が嬲り、日が嬲り、つい今しがたは黄な蝶がひらひらと嬲りに来た。知らぬ顔の藤尾は、内側を向いている。くっきりと肉の締った横顔は、後ろからさす日の影に、耳を蔽うて肩に流す鬢の影に、しっとりとして仄である。千筋にぎらついて深き菫を一面に浴せる肩を通り越して、向う側はと覗き込むとき、眩ゆき眼はしんと静まる。夕暮にそれかと思う蓼の花の、白きを人は潜むと云った。髪多く余る光を椽にこぼすこなたの影に、有るか無きかの細りした顔のなかを、濃く引き残したる眉の尾のみがたしかである。眉の下なる切長の黒い眼は何を語るか分らない。藤尾は寄木の小机に肱を持たせて俯向いている。
心臓の扉を黄金の鎚に敲いて、青春の盃に恋の血潮を盛る。飲まずと口を背けるものは片輪である。月傾いて山を慕い、人老いて妄りに道を説く。若き空には星の乱れ、若き地には花吹雪、一年を重ねて二十に至って愛の神は今が盛である。緑濃き黒髪を婆娑とさばいて春風に織る羅を、蜘蛛の囲と五彩の軒に懸けて、自と引き掛る男を待つ。引き掛った男は夜光の璧を迷宮に尋ねて、紫に輝やく糸の十字万字に、魂を逆にして、後の世までの心を乱す。女はただ心地よげに見やる。耶蘇教の牧師は救われよという。臨済、黄檗は悟れと云う。この女は迷えとのみ黒い眸を動かす。迷わぬものはすべてこの女の敵である。迷うて、苦しんで、狂うて、躍る時、始めて女の御意はめでたい。欄干に繊い手を出してわんと云えという。わんと云えばまたわんと云えと云う。犬は続け様にわんと云う。女は片頬に笑を含む。犬はわんと云い、わんと云いながら右へ左へ走る。女は黙っている。犬は尾を逆にして狂う。女はますます得意である。――藤尾の解釈した愛はこれである。