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虞美人草 十二 (7)

时间: 2021-04-17    进入日语论坛
核心提示: 石仏(せきぶつ)に愛なし、色は出来ぬものと始から覚悟をきめているからである。愛は愛せらるる資格ありとの自信に基(もとづ)い
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 石仏(せきぶつ)に愛なし、色は出来ぬものと始から覚悟をきめているからである。愛は愛せらるる資格ありとの自信に(もとづ)いて起る。ただし愛せらるるの資格ありと自信して、愛するの資格なきに気のつかぬものがある。この両資格は多くの場合において反比例する。愛せらるるの資格を標榜(ひょうぼう)して(はば)からぬものは、いかなる犠牲をも相手に(せま)る。相手を愛するの資格を(そな)えざるがためである。たる美目(びもく)に魂を打ち込むものは必ず食われる。小野さんは(あやう)い。(せん)たる巧笑にわが命を托するものは必ず人を殺す。藤尾は丙午(ひのえうま)である。藤尾は(おの)れのためにする愛を解する。人のためにする愛の、存在し得るやと考えた事もない。詩趣はある。道義はない。
 愛の対象は玩具(おもちゃ)である。神聖なる玩具である。普通の玩具は(もてあそ)ばるるだけが能である。愛の玩具は互に弄ぶをもって原則とする。藤尾は男を弄ぶ。一毫(いちごう)も男から弄ばるる事を許さぬ。藤尾は愛の女王である。成立つものは原則を(はず)れた恋でなければならぬ。愛せらるる事を専門にするものと、愛する事のみを念頭に置くものとが、春風(はるかぜ)の吹き回しで、(あま)い潮の満干(みちひき)で、はたりと天地の前に行き()った時、この変則の愛は成就する。
 ()を立てて恋をするのは、火事頭巾(かじずきん)(かぶ)って、甘酒を飲むようなものである。調子がわるい。恋はすべてを()かす。角張(かどば)った絵紙鳶(えだこ)飴細工(あめざいく)であるからは必ず流れ出す。我は愛の水に浸して、三日三晩の長きに(わた)ってもふやける気色(けしき)を見せぬ。どこまでも堅く控えている。我を立てて恋をするものは氷砂糖である。
 沙翁(シェクスピア)は女を評して(もろ)きは汝が名なりと云った。脆きが中に我を通す(あが)れる恋は、(かし)ぎたる飯の柔らかきに御影(みかげ)の砂を振り敷いて、心を許す奥歯をがりがりと寒からしむ。()み締めるものに護謨(ゴム)の弾力がなくては無事には行かぬ。我の強い藤尾は恋をするために我のない小野さんを(えら)んだ。蜘蛛の囲にかかる油蝉(あぶらぜみ)はかかっても暴れて行かぬ。時によると網を破って逃げる事がある。宗近(むねちか)君を()るは容易である。宗近君を()らすは藤尾といえども困難である。()の女は(あご)で相図をすれば、すぐ来るものを喜ぶ。小野さんはすぐ来るのみならず、来る時は必ず詩歌(しいか)(たま)(ふところ)(いだ)いて来る。夢にだもわれを(もてあそ)ぶの意思なくして、満腔(まんこう)の誠を捧げてわが玩具(おもちゃ)となるを栄誉と思う。彼を愛するの資格をわれに求むる事は露知らず、ただ愛せらるべき資格を、わが眼に、わが(まゆ)に、わが(くちびる)に、さてはわが才に認めてひたすらに渇仰(かつごう)する。藤尾の恋は小野さんでなくてはならぬ。

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