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虞美人草 十二 (8)

时间: 2021-04-17    进入日语论坛
核心提示: 唯々(いい)として来(く)るべきはずの小野さんが四五日見えぬ。藤尾は薄き粧(よそおい)を日ごとにして我(が)の角(かど)を鏡の裡
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 唯々(いい)として()るべきはずの小野さんが四五日見えぬ。藤尾は薄き(よそおい)を日ごとにして()(かど)を鏡の(うち)に隠していた。その五日目の昨夕(ゆうべ)! 驚くうちは(たのしみ)がある! 女は仕合せなものだ! (あざけり)(れい)はいまだに耳の底に鳴っている。小机に(ひじ)を持たしたまま、燃ゆる黒髪を照る日に打たして身動もせぬ。背を(えん)に、顔を影なる居住(いずまい)は、考え事に明海(あかるみ)()む、昔からの(おきて)である。
 縄なくて十重(とえ)(くく)(とりこ)は、捕われたるを誇顔(ほこりがお)に、(さしまね)けば来り、(ゆびさ)せば走るを、他意なしとのみ弄びたるに、奇麗な葉を裏返せば毛虫がいる。思う人と(なら)んで姿見に向った時、大丈夫写るは君と我のみと、神()けて疑わぬを、見れば間違った。男はそのままの男に、寄り添うは見た事もない他人である。驚くうちは楽がある! 女は仕合せなものだ!
 ()えぬ白さに青味を含む憂顔(うれいがお)を、三五の卓を隔てて電灯の(もと)に眺めた時は、――わが(かたえ)ならでは、若き美くしき女に近づくまじきはずの男が、気遣(きづか)わし()に、また親し気に、この人と半々に洋卓(テーブル)の角を回って向き合っていた時は、――撞木(しゅもく)で心臓をすぽりと(たた)かれたような気がした。拍子(ひょうし)に胸の血はことごとく頬に()す。(くれない)は云う、(かっ)としてここに(おど)り上がると。
 我は猛然として立つ。その儀ならばと云う。振り向いてもならぬ。不審を打ってもならぬ。一字の批評も不見識である。(あれ)ども無きがごとくに(よそお)え。昂然(こうぜん)として水準以下に取り扱え。――気がついた男は面目を失うに違ない。これが復讐(ふくしゅう)である。
 我の女はいざと云う間際(まぎわ)まで心細い顔をせぬ。(うら)むと云うは頼る人に見替られた時に云う。(あなどり)に対する適当な言葉は(いかり)である。無念と嫉妬(しっと)()ぜ合せた怒である。文明の淑女は人を馬鹿にするを第一義とする。人に馬鹿にされるのを死に(まさ)る不面目と思う。小野さんはたしかに淑女を(はずか)しめた。
 愛は信仰より成る。信仰は二つの神を念ずるを許さぬ。愛せらるべき、わが資格に、帰依(きえ)(こうべ)を下げながら、二心(ふたごころ)の背を軽薄の(ちまた)に向けて、何の(やしろ)の鈴を鳴らす。牛頭(ごず)馬骨(ばこつ)、祭るは人の勝手である。ただ小野さんは勝手な神に恋の御賽銭(おさいせん)を投げて、波か字かの辻占(つじうら)を見てはならぬ。小野さんは、この黒い眼から早速(さそく)に放つ、見えぬ光りに、空かけて織りなした無紋の網に引き掛った餌食(えじき)である。外へはやられぬ。神聖なる玩具として生涯(しょうがい)大事にせねばならぬ。

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