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虞美人草 十二 (9)

时间: 2021-04-17    进入日语论坛
核心提示: 神聖とは自分一人が玩具(おもちゃ)にして、外の人には指もささせぬと云う意味である。昨夕(ゆうべ)から小野さんは神聖でなくな
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 神聖とは自分一人が玩具(おもちゃ)にして、外の人には指もささせぬと云う意味である。昨夕(ゆうべ)から小野さんは神聖でなくなった。それのみか向うでこっちを玩具にしているかも知れぬ。――(ひじ)を持たして、俯向(うつむ)くままの藤尾の眉が活きて来る。
 玩具にされたのならこのままでは置かぬ。()は愛を()(ざき)にする。面当(つらあて)はいくらもある。貧乏は恋を乾干(ひぼし)にする。富貴(ふうき)は恋を贅沢(ぜいたく)にする。功名は恋を犠牲にする。我は未練な恋を踏みつける。(とが)(きり)に自分の(もも)を刺し通して、それ見ろと人に示すものは我である。自己がもっとも(あたい)ありと思うものを捨てて得意なものは我である。我が立てば、虚栄の市にわが命さえ(ほふ)る。(さか)しまに天国を辞して奈落の暗きに落つるセータンの耳を切る地獄の風は(プライド)! (プライド)! と叫ぶ。――藤尾は俯向(うつむき)ながら下唇を()んだ。
 ()わぬ四五日は手紙でも出そうかと思っていた。昨夕(ゆうべ)帰ってからすぐ書きかけて見たが、五六行かいた後で何をとずたずたに引き裂いた。けっして書くまい。頭を下げて先方から折れて出るのを待っている。だまっていればきっと出てくる。出てくれば謝罪(あやま)らせる。出て来なければ? 我はちょっと困った。手の届かぬところに我を立てようがない。――なに来る、きっと来る、と藤尾は口の(うち)で云う。知らぬ小野さんははたして我に引かれつつある。来つつある。
 よし来ても昨夜(ゆうべ)の女の事は聞くまい。聞けばあの女を眼中に置く事になる。昨夕食卓で兄と宗近が妙な合言葉を使っていた。あの女と小野の関係を聞えよがしに、自分を()らす料簡(りょうけん)だろう。頭を下げて聞き出しては我が折れる。二人で寄ってたかって人を馬鹿にするつもりならそれでよい。二人が(ほのめ)かした事実の反証を挙げて鼻をあかしてやる。
 小野はどうしても(あやま)らせなければならぬ。つらく当って詫らせなければならぬ。同時に兄と宗近も詫らせなければならぬ。小野は全然わがもので、調戯面(からかいづら)にあてつけた二人の悪戯(いたずら)は何の役にも立たなかった、見ろこの通りと親しいところを見せつけて、鼻をあかして詫らせなければならぬ。――藤尾は矛盾した両面を我の一字で(つらぬ)こうと、洗髪(あらいがみ)(うしろ)に顔を(うず)めて考えている。

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