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虞美人草 十二 (18)

时间: 2021-04-17    进入日语论坛
核心提示: 清水(きよみず)の舞台から飛び降りたような語勢は鼻の先でふふんと留った。母はまたおやと思う。「あの人はいつ博士になるんだ
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 清水(きよみず)の舞台から飛び降りたような語勢は鼻の先でふふんと留った。母はまたおやと思う。
「あの人はいつ博士になるんだろうね」
「いつですか」とよそごとのように云う。
御前(おまい)――あの人と喧嘩(けんか)でもしたのかい」
「小野さんに喧嘩が出来るもんですか」
「そうさ、ただ教えて貰やしまいし、相当の礼をしているんだから」
 謎の女にはこれより以上の解釈は出来ないのである。藤尾は返事を見合せた。
 昨夕(ゆうべ)の事を打ち明けてこれこれであったと話してしまえばそれまでである。母は無論躍起(やっき)になって、こっちに同情するに違ない。打ち明けて都合が悪いとは露思わぬが、進んで同情を求めるのは、(うえ)(せま)って、知らぬ人の門口(かどぐち)に、一銭二銭の(あわれみ)を乞うのと大した相違はない。同情は()の敵である。昨日(きのう)まで舞台に躍る操人形(あやつりにんぎょう)のように、物云うも(ものう)きわが小指の先で、意のごとく立たしたり、寝かしたり、(はて)は笑わしたり、()らしたり、どぎまぎさして、面白く興じていた手柄顔を、母も天晴(あっぱ)れと、うごめかす鼻の先に、得意の見栄(みえ)をぴくつかせていたものを、――あれは、ほんの表向で、内実の昨夕(ゆうべ)を見たら、招く(すすき)(むこう)(なび)く。知らぬ顔の美しい人と、(むつま)じく御茶を飲んでいたと、心外な(ふた)をとれば、母の手前で器量が下がる。我が承知が出来ぬと云う。()れた(たか)なら見限(みきり)をつけてもういらぬと話す。あとを()けて鼻を鳴らさぬような犬ならば打ちやった後で、捨てて来たと公言する。小野さんの不心得はそこまでは進んでおらぬ。放って置けば帰るかも知れない。いや帰るに違ないと、小夜子と自分を比較した我が証言してくれる。帰って来た時に(から)い目に()わせる。辛い目に逢わせた後で、立たしたり、寝かしたりする。笑わしたり、焦らしたり、どぎまぎさしたりする。そうして、面白そうな手柄顔(てがらがお)を、母に見せれば母への面目は立つ。兄と(はじめ)に見せれば、両人(ふたり)への意趣返(いしゅがえ)しになる。――それまでは話すまい。藤尾は返事を見合せた。母は自分の誤解を悟る機会を永久に失った。
「さっき欽吾が来やしないか」と母はまた質問を掛ける。鯉は(おど)る。(はす)()を吹く、芝生はしだいに青くなる、辛夷(こぶし)()ちた。謎の女はそんな事に頓着(とんじゃく)はない。日となく夜となく欽吾の幽霊で苦しめられている。書斎におれば何をしているかと思い、考えておれば何を考えているかと思い、藤尾の所へ来れば、どんな話をしに来たのかと思う。欽吾は腹を痛めぬ子である。腹を痛めぬ子に油断は出来ぬ。これが謎の女の先天的に教わった大真理である。この真理を発見すると共に謎の女は神経衰弱に(かか)った。神経衰弱は文明の流行病である。自分の神経衰弱を濫用(らんよう)すると、わが子までも神経衰弱にしてしまう。そうしてあれの病気にも困り切りますと云う。感染したものこそいい迷惑である。困り切るのはどっちの云い分か分らない。ただ謎の女の方では、飽くまでも欽吾に困り切っている。

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