「さっき欽吾が来やしないか」と云う。
「来たわ」
「どうだい様子は」
「やっぱり相変らずですわ」
「あれにも、本当に……」で薄く八の字を寄せたが、
「困り者だね」と切った時、八の字は見る見る深くなった。
「何でも奥歯に物の挟ったような皮肉ばかり云うんですよ」
「皮肉なら好いけれども、時々気の知れない囈語を云うにゃ困るじゃないか。何でもこの頃は様子が少し変だよ」
「あれが哲学なんでしょう」
「哲学だか何だか知らないけれども。――さっき何か云ったかい」
「ええまた時計の事を……」
「返せって云うのかい。一にやろうがやるまいが余計な御世話じゃないか」
「今どっかへ出掛けたでしょう」
「どこへ行ったんだろう」
「きっと宗近へ行ったんですよ」
対話がここまで進んだ時、小野さんがいらっしゃいましたと下女が両手をつかえる。母は自分の部屋へ引き取った。
椽側を曲って母の影が障子のうちに消えたとき、小野さんは内玄関の方から、茶の間の横を通って、次の六畳を、廊下へ廻らず抜けて来る。
磬を打って入室相見の時、足音を聞いただけで、公案の工夫が出来たか、出来ないか、手に取るようにわかるものじゃと云った和尚がある。気の引けるときは歩き方にも現われる。獣にさえ屠所のあゆみと云う諺がある。参禅の衲子に限った現象とは認められぬ。応用は才人小野さんの上にも利く。小野さんは常から世の中に気兼をし過ぎる。今日は一入変である。落人は戦ぐ芒に安からず、小野さんは軽く踏む青畳に、そと落す靴足袋の黒き爪先に憚り気を置いて這入って来た。
一睛を暗所に点ぜず、藤尾は眼を上げなかった。ただ畳に落す靴足袋の先をちらりと見ただけでははあと悟った。小野さんは座に着かぬ先から、もう舐められている。
「今日は……」と座りながら笑いかける。
「いらっしゃい」と真面目な顔をして、始めて相手をまともに見る。見られた小野さんの眸はぐらついた。