「御無沙汰をしました」とすぐ言訳を添える。
「いいえ」と女は遮った。ただしそれぎりである。
男は出鼻を挫かれた気持で、どこから出直そうかと考える。座敷は例のごとく静である。
「だいぶ暖かになりました」
「ええ」
座敷のなかにこの二句を点じただけで、後は故のごとく静になる。ところへ鯉がぽちゃりとまた跳る。池は東側で、小野さんの背中に当る。小野さんはちょっと振り向いて鯉がと云おうとして、女の方を見ると、相手の眼は南側の辛夷に注いている。――壺のごとく長い弁から、濃い紫が春を追うて抜け出した後は、残骸に空しき茶の汚染を皺立てて、あるものはぽきりと絶えた萼のみあらわである。
鯉がと云おうとした小野さんはまた廃めた。女の顔は前よりも寄りつけない。――女は御無沙汰をした男から、御無沙汰をした訳を云わせる気で、ただいいえと受けた。男は仕損ったと心得て、だいぶ暖になりましたと気を換えて見たが、それでも験が見えぬので、鯉がの方へ移ろうとしたのである。男は踏み留まれるところまで滑って行く気で、気を揉んでいるのに、女は依然として故の所に坐って動かない。知らぬ小野さんはまた考えなければならぬ。
四五日来なかったのが気に入らないなら、どうでもなる。昨夕博覧会で見つかったなら少し面倒である。それにしても弁解の道はいくらでもつく。しかし藤尾がはたして自分と小夜子を、ぞろぞろ動く黒い影の絶間なく入れ代るうちで認めたろうか。認められたらそれまでである。認められないのに、こちらから思い切って持ち出すのは、肌を脱いで汚い腫物を知らぬ人の鼻の前に臭わせると同じ事になる。