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虞美人草 十二 (21)

时间: 2021-04-17    进入日语论坛
核心提示: 若い女と連れ立って路を行くは当世である。ただ歩くだけなら名誉になろうとも瑕疵(きず)とは云わせぬ。今宵限(こよいかぎり)の
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 若い女と連れ立って路を行くは当世である。ただ歩くだけなら名誉になろうとも瑕疵(きず)とは云わせぬ。今宵限(こよいかぎり)(おぼろ)だものと、即興にそそのかされて、他生(たしょう)の縁の(そで)(たもと)を、今宵限り()り合せて、あとは知らぬ世の、黒い波のざわつく中に、西東首を(うず)めて、あかの他人と化けてしまう。それならば差支(さしつかえ)ない。進んでこうと話もする。残念な事には、小夜子と自分は、碁盤の上に、訳もなく(なら)べられた二つの石の引っ付くような浅い関係ではない。こちらから逃げ延びた五年の永き年月(としつき)を、(むこう)では離れじと、()()とも夜の間ともなく、繰り出す糸の、誠は赤き(えにし)の色に、細くともこれまで(つな)()められた仲である。
 ただの女と云い切れば済まぬ事もない。その代り、人も嫌い自分も好かぬ(うそ)となる。嘘は河豚汁(ふぐじる)である。その場限りで(たたり)がなければこれほど(うま)いものはない。しかし中毒(あたっ)たが最後苦しい血も吐かねばならぬ。その上嘘は(まこと)手繰寄(たぐりよ)せる。黙っていれば悟られずに、行き抜ける便(たより)もあるに、隠そうとする身繕(みづくろい)、名繕、さては素性(すじょう)繕に、(うたがい)(ひとみ)征矢(そや)はてっきり(まと)と集りやすい。繕は(ほころ)びるを持前とする。綻びた下から醜い正体が、それ見た事かと、現われた時こそ、身の生涯(しょうがい)洗われない。――小野さんはこれほどの分別を持った、利害の関係には暗からぬ利巧者(りこうもの)である。西東隔たる京を縫うて、五年の長き思の糸に(くく)られているわが情実は、目の前にすねて坐った当人には話したくない。少なくとも新らしい血に(かよ)うこの頃の恋の脈が、調子を合せて、天下晴れての夫婦ぞと、二人の手頸(てくび)に暖たかく打つまでは話したくない。この情実を話すまいとすると、ただの女と不知(しら)を切る当座の嘘は()きたくない。嘘を吐くまいとすると、小夜子の事は名前さえも打ち明けたくない。――小野さんはしきりに藤尾の様子を眺めている。
昨夕(ゆうべ)博覧会へ御出(おいで)……」とまで思い切った小野さんは、御出になりましたかにしようか、御出になったそうですねにしようかのところでちょっとごとついた。
「ええ、行きました」

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