平生からあまり丈夫には見えない。骨が細く、躯が細く、顔はことさら細く出来上ったうえに、取る年は争われぬ雨と風と苦労とを吹きつけて、辛い浮世に、辛くも取り留めた心さえ細くなるばかりである。今日は一層顔色が悪い。得意の髯さえも尋常には見えぬ。黒い隙間を白いのが埋めて、白い隙間を風が通る。
古の人は顎の下まで影が薄い。一本ずつ吟味して見ると先生の髯は一本ごとにひょろひょろしている。小野さんは鄭寧に帽を脱いで、無言のまま挨拶をする。英吉利刈の新式な頭は、眇然たる「過去」の前に落ちた。
径何十尺の円を描いて、周囲に鉄の格子を嵌めた箱をいくつとなくさげる。運命の玩弄児はわれ先にとこの箱へ這入る。円は廻り出す。この箱にいるものが青空へ近く昇る時、あの箱にいるものは、すべてを吸い尽す大地へそろりそろりと落ちて行く。観覧車を発明したものは皮肉な哲学者である。
英吉利式の頭は、この箱の中でこれから雲へ昇ろうとする。心細い髯に、世を佗び古りた記念のためと、大事に胡麻塩を振り懸けている先生は、あの箱の中でこれから暗い所へ落ちつこうとする。片々が一尺昇れば片々は一尺下がるように運命は出来上っている。
昇るものは、昇りつつある自覚を抱いて、降りつつ夜に行くものの前に鄭寧な頭を惜気もなく下げた。これを神の作れるアイロニーと云う。
「やあ、これは」と先生は機嫌が好い。運命の車で降りるものが、昇るものに出合うと自然に機嫌がよくなる。
「さあ御上り」とたちまち座敷へ取って返す。小野さんは靴の紐を解く。解き終らぬ先に先生はまた出てくる。
「さあ御上り」
座敷の真中に、昼を厭わず延べた床を、壁際へ押しやったあとに、新調の座布団が敷いてある。
「どうか、なさいましたか」
「何だか、今朝から心持が悪くってね。それでも朝のうちは我慢していたが、午からとうとう寝てしまった。今ちょうどうとうとしていたところへ君が来たので、待たして御気の毒だった」
「いえ、今格子を開けたばかりです」
「そうかい。何でも誰か来たようだから驚いて出て見た」
「そうですか、それは御邪魔をしました。寝ていらっしゃれば好かったですね」
「なに大した事はないから。――それに小夜も婆さんもいないものだから」
「どこかへ……」
「ちょっと風呂に行った。買物かたがた」