床の抜殻は、こんもり高く、這い出した穴を障子に向けている。影になった方が、薄暗く夜着の模様を暈す上に、投げ懸けた羽織の裏が、乏しき光線をきらきらと聚める。裏は鼠の甲斐絹である。
「少しぞくぞくするようだ。羽織でも着よう」と先生は立ち上がる。
「寝ていらしったら好いでしょう」
「いや少し起きて見よう」
「何ですかね」
「風邪でもないようだが、――なに大した事もあるまい」
「昨夕御出になったのが悪かったですかね」
「いえ、なに。――時に昨夕は大きに御厄介」
「いいえ」
「小夜も大変喜んで。御蔭で好い保養をした」
「もう少し閑だと、方々へ御供をする事が出来るんですが……」
「忙がしいだろうからね。いや忙がしいのは結構だ」
「どうも御気の毒で……」
「いや、そんな心配はちっとも要らない。君の忙がしいのは、つまり我々の幸福なんだから」
小野さんは黙った。部屋はしだいに暗くなる。
「時に飯は食ったかね」と先生が聞く。
「ええ」
「食った?――食わなければ御上り。何にもないが茶漬ならあるだろう」とふらふらと立ち懸ける。締め切った障子に黒い長い影が出来る。
「先生、もう好いんです。飯は済まして来たんです」
「本当かい。遠慮しちゃいかん」
「遠慮しやしません」
黒い影は折れて故のごとく低くなる。えがらっぽい咳が二つ三つ出る。
「咳が出ますか」
「から――からっ咳が出て……」と云い懸ける途端にまた二つ三つ込み上げる。小野さんは憮然として咳の終るを待つ。
「横になって温まっていらしったら好いでしょう。冷えると毒です」
「いえ、もう大丈夫。出だすと一時いけないんだがね。――年を取ると意気地がなくなって――何でも若いうちの事だよ」