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虞美人草 十四 (13)

时间: 2021-04-20    进入日语论坛
核心提示: 若いうちの事だとは今まで毎度聞いた言葉である。しかし孤堂先生の口から聞いたのは今が始めてである。骨ばかりこの世に取り残
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 若いうちの事だとは今まで毎度聞いた言葉である。しかし孤堂先生の口から聞いたのは今が始めてである。骨ばかりこの世に取り残されたかと思う人の、(まば)らな(ひげ)風塵(ふうじん)に託して、残喘(ざんせん)に一昔と二昔を、互違(たがいちがい)に呼吸する口から聞いたのは、少なくとも今が始めてである。()の鐘は(いん)に響いてぼうんと鳴る。薄暗い部屋のなかで、薄暗い人からこの言葉を聞いた小野さんは、つくづく若いうちの事だと思った。若いうちは二度とないと思った。若いうち(うま)くやらないと生涯(しょうがい)の損だと思った。
 生涯の損をしてこの先生のように老朽した時の心持は定めて(さび)しかろう。よくよくつまらないだろう。しかし恩のある人に済まぬ不義理をして死ぬまで寝醒(ねざめ)が悪いのは、損をした昔を思い出すより欝陶(うっとう)しいかも知れぬ。いずれにしても若いうちは二度とは来ない。二度と来ない若いうちにきめた事は生涯きまってしまう。生涯きまってしまう事を、自分は今どっちかにきめなければならぬ。今日藤尾に逢う前に先生の所へ来たら、あの嘘を当分見合せたかも知れぬ。しかし嘘を()いてしまった今となって見ると致し方はない。将来の運命は藤尾に任せたと云って()(つかえ)ない。――小野さんは心中でこう云う言訳をした。
「東京は変ったね」と先生が云う。
(はげ)しい所で、毎日変っています」
「恐ろしいくらいだ。昨夜(ゆうべ)もだいぶ驚いたよ」
「随分人が出ましたから」
「出たねえ。あれでも知った人には滅多(めった)()わないだろうね」
「そうですね」と瞹眛(あいまい)に受ける。
「逢うかね」
 小野さんは「まあ……」と濁しかけたが「まあ、逢わない方ですね」と思い切ってしまった。
「逢わない。なるほど広い所に違ない」と先生は大いに感心している。なんだか田舎染(いなかじ)みて見える。小野さんは光沢(つや)の悪い先生の顔から眼を放して、自分の膝元を眺めた。カフスは真白である。七宝(しっぽう)夫婦釦(めおとボタン)(なめらか)淡紅色(ときいろ)を緑の上に浮かして、華奢(きゃしゃ)な金縁のなかに暖かく包まれている。背広(せびろ)の地は(ひん)の好い英吉利織(イギリスおり)である。自己をまのあたりに物色した時、小野さんは自己の住むべき世界を卒然と自覚した。先生に釣り込まれそうな(きわ)どいところで急に忘れ物を思い出したような気分になる。先生には無論分らぬ。
「いっしょにあるいたのも久しぶりだね。今年でちょうど五年目になるかい」とさも可懐(なつかし)げに話しかける。

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