若いうちの事だとは今まで毎度聞いた言葉である。しかし孤堂先生の口から聞いたのは今が始めてである。骨ばかりこの世に取り残されたかと思う人の、疎らな髯を風塵に託して、残喘に一昔と二昔を、互違に呼吸する口から聞いたのは、少なくとも今が始めてである。子の鐘は陰に響いてぼうんと鳴る。薄暗い部屋のなかで、薄暗い人からこの言葉を聞いた小野さんは、つくづく若いうちの事だと思った。若いうちは二度とないと思った。若いうち旨くやらないと生涯の損だと思った。
生涯の損をしてこの先生のように老朽した時の心持は定めて淋しかろう。よくよくつまらないだろう。しかし恩のある人に済まぬ不義理をして死ぬまで寝醒が悪いのは、損をした昔を思い出すより欝陶しいかも知れぬ。いずれにしても若いうちは二度とは来ない。二度と来ない若いうちにきめた事は生涯きまってしまう。生涯きまってしまう事を、自分は今どっちかにきめなければならぬ。今日藤尾に逢う前に先生の所へ来たら、あの嘘を当分見合せたかも知れぬ。しかし嘘を吐いてしまった今となって見ると致し方はない。将来の運命は藤尾に任せたと云って差し支ない。――小野さんは心中でこう云う言訳をした。
「東京は変ったね」と先生が云う。
「烈しい所で、毎日変っています」
「恐ろしいくらいだ。昨夜もだいぶ驚いたよ」
「随分人が出ましたから」
「出たねえ。あれでも知った人には滅多に逢わないだろうね」
「そうですね」と瞹眛に受ける。
「逢うかね」
小野さんは「まあ……」と濁しかけたが「まあ、逢わない方ですね」と思い切ってしまった。
「逢わない。なるほど広い所に違ない」と先生は大いに感心している。なんだか田舎染みて見える。小野さんは光沢の悪い先生の顔から眼を放して、自分の膝元を眺めた。カフスは真白である。七宝の夫婦釦は滑な淡紅色を緑の上に浮かして、華奢な金縁のなかに暖かく包まれている。背広の地は品の好い英吉利織である。自己をまのあたりに物色した時、小野さんは自己の住むべき世界を卒然と自覚した。先生に釣り込まれそうな際どいところで急に忘れ物を思い出したような気分になる。先生には無論分らぬ。
「いっしょにあるいたのも久しぶりだね。今年でちょうど五年目になるかい」とさも可懐げに話しかける。