「歩く」
1996年の1月17日に出版された「瓦礫(がれき)の下の小説」(集英社)を開く。その1年前の阪神大震災で亡くなった重松克洋さんが書きためていた小説と詩を編んだ遺稿集である。
笔者翻开了1996年1月17日出版的《瓦砾下的小说》 (集英社)。这是一部编纂了在那前一年阪神大地震中遇难的重松克洋所著的小说和诗歌的遗稿集。
当時20歳で関西学院大2年だった重松さんは、西宮市内のアパート「若葉荘」の1階に住んでいた。地震でアパートが崩れ、その下敷きになる。後日、友人たちが瓦礫の中から泥だらけの原稿用紙約200枚をみつけた。
当时只有20岁,就读于关西学院大2的重松,住在西宫市内的公寓"嫩叶庄"的一楼。地震中公寓坍塌,重松被压在底下。数日之后,朋友们从瓦砾中发现了约200张沾满泥土的稿件。
「俺達は、神様に踊らされているんだよ……明日のために、一時的な幸せを与えられて、人は生きさせられてるんだよ」「小さな幸せの中にいることが、本当の幸せなんだよ。難しく考えなくてもいい」。小説「時の輪」では「時の輪から抜け出したいんだ」という言葉を残して自殺する友人とのこんなやりとりが描かれる。人の生に、正面から向き合おうとした軌跡のようだ。
"我们,为神所操纵着……为了明天,为了着被赋予的这短暂幸福,人们生活着","当我们身在小小幸福之中的时候,是真的觉得很幸福哟。不必将幸福考虑得过于复杂"。在小说《时间之环》中,他描绘了和留下遗言"想摆动时间之环"去自杀的朋友之间,这样的一段对话。
昨年の1月17日、神戸は雨だった。市内の追悼の会を取材した後「若葉荘」に向かった。関西学院大に近い住宅街のその場所は駐車場になっていた。敷地の一角に花が供えられ、手を合わせてしのぶ人たちがいた。
去年的1月17日,神户下着雨。在采访完市内的追悼会之后,笔者去了趟"嫩叶庄"。位于关西学院大学附近住宅街的那个"嫩叶庄"如今已成了停车场。场地的一角供奉着鲜花,有人双手合十悼念着逝去的生命。
重松さんは高校時代に「歩く」という詩を書いた。「この道が続く限り/僕は歩き続けるだろう/たとえ道がなくなったとしても……なぜなら歩き続けることが自分の証明であり/歩き続ける限り僕は生きているからだ」
重松在高中时代写了一首题为《行走》的诗词。"只要这条道路延伸着/ 我就将一直走下去/ 纵然 道路消失……那 也是我 因何持续行进的证明/ 因为 只要能够持续行进 就证明 我正生活着"
今年も1月17日が巡って来た。あの日から11年の月日が流れた。しかし、亡くなった人たちは、今も、これからも、それぞれにつながる人々の中で生き続け、歩き続けてゆくだろう。
今年1月17日又到来了。从地震的那天起,11年的岁月流逝了。但是,逝去的生命,不论现在还是将来,都将继续地存活在与之相关人们的内心之中,并将永远地行走下去吧。