[原文] 先日、米紙にこんな記事(きじ)が出ていた。アメリカ人がカナダをどれくらい知っているか、についての記事だ。
カナダのテレビ局がアメリカ人にマイクを向ける。「奥さん、カナダのテレビにちょっと時間を割いてくれませんか」。婦人は「カナダにテレビ局があるのですか?」とまじめに聞き返す。
別のアメリカ人には「トロントでの北極(ほっきょく)グマ殺しは禁止(きんし)した方がいいでしょうか?」。答えは「もちろん」。ご存じのように、もちろんトロントに北極グマはいない。そうやって、アメリカ人のカナダへの無知(むち)さかげんを笑う。自分たちがアメリカ人にいかに無視(むし)されているかの証明(しょうめい)でもあるから苦い笑いだ。
最も近くて最も親しいはずのカナダでさえこうである。米国がいかに「日本重視」を言おうとも、日本への関心は、知日派(ちにちは)を別にして、こちらで考えるほどではない。沖縄(おきなわ)での米兵暴行(ぼうこう)事件への対応(たいおう)でも、日本への無理解をしばしば感じた。
日本の司法(しほう)制度(せいど)への不信感(ふしんかん)ひとつとっても相当なものだ。平気(へいき)で人権(じんけん)を踏みにじるかのような議論(ぎろん)がなされる。その見下(みくだ)したような言い方は腹立たしいが、ちょっぴり反省(はんせい)もさせられる。そう思われても仕方ないようなときもあったから。また、そんな米国とじかに接してきた沖縄の人々のいらだちはいかほどか。
カナダの元首相の言葉だ。「米国の隣にいるのは象と一緒に寝ているようなもの。向こうがぴくりとするだけでこちらは飛び上がる」。象の鈍感(どんかん)さは米国だけではない。私たちも、沖縄に対して、象の鈍感さがなかったか。
迟钝的大象
前几天在美国的报纸上曾登载过这样的一篇文章。是关于美国人到底了解加拿大多少的文章。
当加拿大电视台的记者采访一位美国老妇人时,问:“太太,我是加拿大电视台的记者,您有时间接受我们的采访吗?”老妇人认真地回答说:“加拿大有电视台吗?”
当采访另外一个美国人时,问:“在多伦多是否应该禁止捕杀北极熊?”得到的回答是:“当然。”众说周知,在多伦多并没有北极熊生存。可见,美国人对加拿大的了解几乎达到了一无所知的程度,令人可笑。加拿大人也感到自己是何等地被美国人所无视而不得不因此发出苦笑。
就连距离美国最近的、和美国的关系最亲密的加拿大都会遭到如此的无视。美国虽然讲「重视日本」,但是在对待日本的政策上,除了亲日派以外,并不是我们所认为的那样。在解决驻冲绳美军强暴妇女的事件时,我们经常感到美国并不了解日本。
对日本的法律制度抱有怀疑态度就是一个充分的体现。就像肆无忌惮的践踏人权那样发表言论。那种用蔑视的语言发表言论真是令人气愤,不得不令人反省。虽然我们有这样的想法也是因为在迫不得己情况下。同时,直接和美国人交往的冲绳人民怎能不焦急呢?
加拿大的前总理曾说:“在美国的旁边就像和大象一起睡觉一样,那边仅仅一哆嗦,这边就得跳起来。”大象的钝感并不仅限于美国。在对冲绳的问题上,我们难道没有大象的钝感吗?