ただ、今回の部分を前の章から続けて読んでいる人のことを考えると、あっという間に6時間を過ぎさせてしまうのもなんか悔しいんだよな……。オレが「辛かった辛かった」って涙ながらに書いても、読む方はなんの同情もせずにたった数秒でオレの6時間を消費するんだぜ? そこで目を閉じて本当に真剣に「初めての中国で深夜一人で電車を待つ6時間の辛さ」というものに思いを馳せてくれる人なんて誰もいないんだよ。下手したら菓子食いながら読んでるんだぜ人が苦しい思いしてる旅行記を?? ふざけるなよあんたっ!!! 駅の待合室のオレはひもじいけど何も食べずに待ってるんだぞ!! 少しはわかり合おうとしろよっ!!! なんだその不快感の一切ない適温に保たれた部屋はっ!!! 今すぐエアコンを消せっ!!!!
こうなったら悔しいので読むのに6時間かかる文章を、オレが記憶を持っている人生のいちばん最初のシーンから最近のマッサージの先生への恋の話まで、淡々と作文にしてべらぼうに長く書いてやろうか。と一瞬本気で思ったが、よく考えたら読むのに6時間かかる文章を書いたらオレは100時間ぐらいを更に無駄にすることになるため、結局もうどうしようもないのだ。もう泣き寝入りするしかない。100時間かけて半生を綴って、それも読み飛ばされようもんなら無駄の上に無駄を重ねることになる。オレの半生そのものまでが無駄だということになってしまう。人生は「半生×2」であるが、半生が0(無駄)であるならば「0×2=0」でオレの人生すべて無駄ということになる(号泣)。