若き日に長桑君という医人に師事し、医術の秘伝書を与えられ、さらに透視能力を発揮する秘薬も授かった。扁鵲の名声は天下に響きわたっている。邯鄲に彼がやってきた時、その地の人々が女性を尊んでいると聞けば、すぐに婦人科系の疾患を主に治療した。また洛陽に行き、老人を大切にすると聞けば老人性の眼疾患や耳の疾患、それに関節の痺証などを治療した。また咸陽に来て秦国の人々がとても子どもをかわいがることを知ると、主に小児科の医者となって治療した。扁鵲は多くの古典に登場するが、一番詳しいのは司馬遷の「史記」扁鵲倉公伝である。また扁鵲はハリ治療の始祖ともされ、現存する古典ではハリ治療の問答集である「難経(なんぎょう)」を編纂したといわれている。
扁鵲(紀元前407年~紀元前310年)は姓を秦、名は越人という。戦国時代の中国の名医で、勃海郡の鄭(現在の河南省)の人である。その医術の高さから民衆から「神医」と呼ばれた。