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第十五章:民間物語~尭と舜王位を譲る

时间: 2015-01-13    进入日语论坛
核心提示: 尭と舜王位を譲る 中国の長い封建王朝の歴史では、帝位は必ずその息子が継いでいた。しかし中国の神話では、最初に相次いで王
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  尭と舜王位を譲る 
 
 中国の長い封建王朝の歴史では、帝位は必ずその息子が継いでいた。しかし中国の神話では、最初に相次いで王位に着いたのは尭、舜と禹であり、この3人には血縁が無い。つまり、品行と才能を兼ね備えた者が推薦されて帝位を継いでいたのだ。 
 
 伝説では尭は中国最初の帝である。彼は年を取ったので後継者を探そうと考え、各部落の首領を集めて自分の考えを伝えると、放斉という者が「御子息の丹朱は物分りの良い方なので、帝の座に就くのに相応しいのではないでしょうか」と進言した。しかし尭は「駄目だ。息子には品がなく争いを好む」と、これを退けた。そこで「では水利を治めている共工という者はいかがでしょう」と、もう一人が言うと尭は「共工は話し上手であるし、見かけは礼儀正しそうだが内心は醜い。そういう者は信用できない」と首を横に振った。結局最後まで結論が出ず、尭は後継者を探し続けた。 
 
 その後しばらくして、尭はまたも首領を集めて相談した。今度は、何人もの首領が一般人である舜という若者を推薦した。これに尭は頷きながら「おお!私もその者の噂を知っているが、もっと詳しく聞かせてはくれないか?」と言った。そこで首領たちは色々と話し始めた。舜の父は非常に愚かな人間で、瞽叟(目が見えない年寄りのこと)と呼ばれ、また母が早くに亡くなったため、継母に育てられるも虐げられて暮らした。やがて継母が弟の象を産んだが、象はひどく傲慢に育った。しかし父の瞽叟はこの弟を可愛がった。舜はこんな境遇で育ちながらも、自分の父や継母、それに弟にも優しかったことから、みんなは舜を褒め称えた。この話を聞いた尭は、まず舜の人格を確かめようと考え、自分の二人の娘、娥皇と女英を舜に嫁がせ、食糧の蔵まで建ててやり、多くの牛や羊を与えた。舜の継母と弟はそれに嫉妬し、瞽叟と計らって舜を何度も殺そうとした。 
 
 ある日、瞽叟は蔵の屋根を修理するために舜を屋根に上がらせ、舜が梯子で屋根に上がったのを確かめると、下で梯子に火を着けた。舜は火の手を見て逃げようとしたが、既に梯子は焼けて無くなっていた。そこで舜は身につけていた2つの日除け用の笠を両手を広げて持ち、翼を広げた鳥の様に屋根から飛び降り軽々と着地し怪我一つしなかった。しかし瞽叟と象は諦めず、今度は舜に井戸さらいをさせた。舜が井戸に下りると、瞽叟らはすぐに大量の土と石を井戸に投げ落とし舜を生き埋めにしようとした。しかし舜は井戸の中で横穴を掘りそこから脱出しまた無事に家に帰ることができた。 
 
 象は、舜が助かったことを知らず得意になって家に戻り「これで兄は死んだに違いない。この方法を考えたのは俺だ。さあ、今から兄の財産を分けよう」と瞽叟に言い、舜の部屋に向った。しかし部屋に入ると舜が座って琴を弾いていたのだ。これを見た象はうろたえながらも恥ずかしそうに「ああ、兄さん心配しましたよ」と言った。 
 
 一方、舜は何事も無かった様に「いいところに来たね。ちょっと忙しいので、丁度お前に助けて欲しいと思っていたところだ」と答えた。その後も舜はこれまで通り両親と弟に優しくし、瞽叟と象もその時から舜を陥れることを考えなくなったという。これを始終見ていた尭は、舜が優れた品行と才能を持っていることを確信し帝の座を彼に譲ると決めた。このように帝位を譲ることを、中国の歴史学者は"禅譲"と呼んでいる。 
 
 舜は帝の座に就いてからも勤勉で倹約に努め、庶民と共に働いたので大衆から信頼された。それから何年か経ち尭が亡くなった。そこで舜は尭の息子の丹朱に帝位を譲ろうとしたが、みんながこれに強く反対した。舜は年を取ると、また同じ方法で品行と才能を備えた禹を後継者に選んだ。 
 
 後の人々は、尭、舜、禹の時代には、利益争いや権力争いが無く、皇帝も大衆も皆、質素で幸せに暮らしていたとしている。 
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