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第十五章:民間物語~ラマ教ゲルク派(黄教)の寺院~雍和宮~

时间: 2015-01-13    进入日语论坛
核心提示: ラマ教ゲルク派(黄教)の寺院~雍和宮~ 北京市内には多くの特色ある古代建築があるが、漢、蒙古とチベットの3つの民族の特
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  ラマ教ゲルク派(黄教)の寺院~雍和宮~ 
 
 北京市内には多くの特色ある古代建築があるが、漢、蒙古とチベットの3つの民族の特色を併せ持つ古代建築は雍和宮だけである。 
 
 雍和宮は内外でも知られたチベット仏教の寺院で、敷地面積6万㎡、1000余りの部屋がある。雍和宮は清の康煕帝が1694年に、四男・胤禎のために建立した邸宅だったが、1723年に胤禎が即位して雍正帝となってからは宮殿に移ってしまい、その後は雍和宮の半分を行宮とし、残る半分をチベット仏教ゲルク派に与えゲルク派の寺院とした。 
 
 ゲルク派はラマ教の一派で、その創設者ツォンカパ(別名ロサンタクパ1357~1419)は8歳で出家し17歳でチベットに向かいラマ教を研究した。後のチベットでは執政教派となり、この教派のメンバーが黄色の帽子をかぶっていたことから黄教とも称された。彼は黄教の改革に大きく貢献した。後のダライとパンチェンはその愛弟子である。 
 
 雍和宮の文物と古代建築は多く、中でも有名なのが"三絶"と呼ばれる文物で、その一つが法輪殿の後殿にある五百羅漢山だ。この山は高さ4m、長さ3m余りで紫檀の香木で出来ている。遠くから見ると静かな山や谷があり、青く茂った松、こじんまりした宝塔、古びた東屋、洞窟、そして曲がりくねった道が連なり、石の階段や小さな橋を見ることができる。その彫刻は素晴らしく、山や丘の立体感を巧みに表し、岩や洞窟のある場所には500の羅漢が浮彫りにされている。いずれも小さいが、1つ1つが生き生きとした造型と彫刻技術を組み合わせた珍品といえる。悔やまれることに、歴代の戦乱を経た中で現在ではこの山には499の羅漢像しか残っていない。 
 
 "三絶"の2つ目は、万福閣の弥勒菩薩像だ。万福閣はまたの名を大仏楼といい、雍和宮で最大の建築物である。高さは30mで三重造りの屋根は全て木造建築である。外観は3階建てだか、中に入ると天井の高い造りとなっていて、中央には世界でも有名な白檀香木で出来た弥勒菩薩がある。この菩薩像は高さ26mうち8mは地下、残る18mが地上の部分で、直径8m、重さ約100tという世界最大の1本の木から作られた彫刻像である。1979年に修繕された際、地下に埋まっていた百壇香木の部分が発見されたが、200年もの歳月を経ているとは思えないほど堅くしっかりしており、中国の古代芸術家の技術とその文物保護レベルの高さを痛感できる。 
 
 "三絶"の3つ目は照仏楼内の旃壇仏で、これは銅で出来た釈迦牟尼像である。像の後光と仏壇は楠で作られ、その彫刻技術は圧巻である。仏壇は天井までの2階分の空間にあり、夕暮れになると金色に輝く像が光背に映り、それが周りに反射して長明灯の明かりと交わって堂内を更に明るくする。仏壇は2本の金の竜を施した柱で支えられ、梁には金箔が施され、上部を99匹の竜が取り巻いている。ある者は首を上げて爪を伸ばし、ある者は天に昇る状態にあり、いずれも素晴らしい出来栄えである。 
 
 この"三絶"以外にも、雍和宮内の建築物とその装飾には特色がある。例えば、法輪殿は十字形になっていて、最上の部分はチベットの風格である5つの金塔になっている。濃厚な民族色が伺え、漢民族とチベット族の文化芸術が交わった結晶といえよう。また、文碑に書かれた4つの碑文は、清の皇帝が撰集した「ラマ説」で、ラマ教の謂れと清朝政府のラマ教政策が記され、漢字、満州語、蒙古語、チベット語の4つの言葉で綴られており、民族の団結を象徴している。雍和宮は1981年に一般公開されて以来、毎年100万人もの内外観光客が訪れている。現在の雍和宮は仏教の聖地であるばかりか、漢民族、満州族、蒙古族、チベット族の文化芸術の宝庫にもなっている。 
 
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