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第十五章:民間物語~「がま、竜と戯れる」

时间: 2015-01-13    进入日语论坛
核心提示: 「がま、竜と戯れる」 中国の後漢時代、都の洛陽付近の地区では頻繁に地震が起こった。史書によれば、西暦89年から140年まで
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  「がま、竜と戯れる」 
 
 中国の後漢時代、都の洛陽付近の地区では頻繁に地震が起こった。史書によれば、西暦89年から140年までのおよそ50年間に、この一帯で起きた地震は33回にも上り、中でも119年に起きた2回の大地震の被害は十数の県にも及んだ。多くの建物が倒壊し、人と家畜が犠牲になったことから、人々は地震をひどく恐れるようになった。当時の皇帝は地震が起こるのは、神を怒らせてしまったせいだと考え、より多くの税金を庶民に課して、それを祈祷行事に注ぎ込んでいた。当時、張衡という科学者がいた。彼は天文、暦法、そして数学にも長けていた。彼は地震に関する迷信を信じず、地震は自然現象であるとした。地震に関する知識が足りないと感じた彼は地震の研究に力を入れ始めた。 
 
 張衡は地震が起きる度にそれを細かく観察、記録し、科学的手法で地震発生の原因を突き止めようとした。長年にわたって実験を繰り返した末、西暦132年に、ついに恐らく中国だけでなく世界でも最初の地震を予報する機械を作り出した。これを「地動儀」と言う。 
 
 この「地動儀」は青銅で作られており、丸くて大きな酒樽のような外観だった。直系は1メートルあり、中心に1本の太い銅柱が差し込まれていた。外部には8本の細い銅柱が付けられ、そのまわりを8匹の竜が囲んでいた。竜の頭は微かに上を向き、それぞれ東、南、西、北、東北、東南、西北、西南の8方向を指していた。そして一つ一つの竜の口には銅の玉がはめ込まれていた。竜の頭の下には、口を大きく開いた銅製のがまが置かれ、竜の口の中にある銅の玉が落ちてくれば受け取ることができるようになっていた。がまと竜の仕草は非常にユーモラスで、互いにふざけあっているように見える。そこで人々は「地動儀」の外観を「がま、竜と戯れる」と形容した。どこかで地震が起きると、「地動儀」の銅の棒はすぐにその方向に傾き、その方向にある竜の口から銅の玉ががまの口に「ドン」と音をたてて落ち、地震の起きた方向を知らせた。当時の政権の関係機構はこれに基づいて、救助活動と善後策を実施した。 
 
 西暦133年、張衡の「地動儀」は洛陽で起こった地震を正確に探知したばかりでなく、その後4年の内に洛陽地域で前後して3回起こった地震も探知し、一度も誤りはなかった。しかし西暦128年2月のある日、張衡たちは西方に向った竜の口の銅の玉ががまの口に落ちたのに気付いたが、揺れは全く感じなかった。このため「地動儀」に疑問を抱いていた学者は、「地動儀」は正確ではなく、洛陽付近で起きる地震しか探知できないと主張した。だが、4日ほど後に洛陽の西部にある甘粛省から使者がきて、地震の発生を報告した。これを聞いた人々は、張衡が造った「地動儀」は、単なる「がま、竜と戯れる」という玩具ではなく、非常に役立つ正真正銘の科学的な装置であると知った。こうして、中国では機械を用いて遠く離れた場所で起きた地震を観測し記録するようになったのである。
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