中日の国交正常化からすでに40年も経った。まだまだお互いに様々な誤解が残っているとはいえ、40年前より経済や政治、特に文化などの面では、距離がかなり縮んだ。特に、留学生は、ここ数年、人数がどんどん増える一方である。統計によると、2011年まで、中国人が日本に留学に行く人数は延べ10万人を超え、前年より7000人以上増えた。中国人の留学生は日本の外国人留学生の6割も占め、もはや日本での留学生の主流になっている。私のクラスは21人だけなのに、今4人も日本に留学している。中国では、日本に留学することは珍しい話ではなくなった。そして、中国での日本人の留学生は2011年に約17961人で、3番目に留学生の人数が多い国になっている。
昔と比べると、本当に留学しやすくなった。交通や通信などが発展したので、両国の距離はかなり近くなった。それに、近年中国の経済が急速に発展してきたから、留学生の経済負担も軽くなった。
しかし、留学生の不安感は、すべて消えたわけではない。なぜなら、今の留学生は、以前の交通や通信、経済面からの不安感と違い、中日関係などの面からストレスを受けている。戦争のせいで、多くの祖父母や父母の世代の人たちは日本に対して、偏見を持っている。だから、子供が日本に留学したいと言うと、一も二もなく反対する。しかも、今年、中日関係が一層悪くなりつつあり、親たちは子供の安全を心配する。それでも日本へ行った留学生は、中国人に誤解がある日本人に出会って戸惑ったり、生活習慣の面の大きな違いでカルチャーショックを受けたりして、日本での生活がうまくいかないこともあるだろう。
しかし、交流をするとき、摩擦を生じることは必ずある。摩擦を怖がって、交流をしないことは絶対にだめである。自分の考えや価値観を堂々と述べ、他人と論じ合い、お互いに理解しあうことこそ留学生のすべきことではないだろうか。そうすると、中日両国の人々は、お互いにもっと深く理解することができるだろう。
私が最も羨ましいと思うことは、留学生がただの教科書や噂による日本ではなく、写真や文章で描かれた日本ではなく、自分の目で見、耳で聞き、実際の日本に触れることができるなのである。なんといっても、教科書も噂も、それに写真も文章も、それらはあくまでも他人が見て日本を記録しているもので、自分の目と耳で触れたものではない。つまり、他人が見たことで偏見を持っていても、実際に日本と触れて自分で判断していなかったら、実際の話にならないだろう。例えば、今年の9月、中国のあちこちで反日運動が起こった。ちょうど日本に留学する準備をしているクラスメートが日本で悪い目に遭わないか私は心配でならなかった。だが、日本に着いたクラスメートから「心配はいらないよ。少なくとも、私の周りは穏やかだよ。」と知らされた。このことから、一方的に相手を悪く推測すれば、中日両国の交流はできない。真の日本に近づき、中日両国の間の誤解を解くためには、留学生の力が欠かせないと思った。
両国の若い世代がお互いに交流し、理解しあうことができるのは何よりも重要なことだと思う。この世界はいずれ私たち若い世代が作るものだからである。若い世代が偏見を捨て去り、理解しあえば、中日両国の未来はきっともっと明るい方向に向かっていくだろう。しかし、それは祖父母や父母の世代の間のことを放っておくというわけではなく、その面で努力し続ける一方で、若い世代に中日関係について違う角度から考えさせることが必要である。なんといっても、若い世代のほうが新たなものに対して、もっと受け取りやすいからである。
今日、留学生はその役に立っているのではないだろうか。留学すれば、必ず同じ若者同士が出会う。彼らが作るその小さな友情は、まさに両国の友好の未来を指しているのではないだろうか。それは政治家の美しそうな幻想より、確かに見える太陽への道ではないだろうか。留学生の存在は、感動をもって私の心を打つ。