この場合の「理解」とは、仲が良くて、何事もなく平穏無事に付き合うということではないと思う。真の「理解」とは、二つのギアが摩擦を利用して噛み合うように、すり合わせるうちに、より遠い未来へ進むということだろう。
大学三年生の時、日本紫金草合唱団の訪中公演に行ったことがある。合唱団の名前である「紫金草」の花は、中国では二月蘭と呼ばれている。戦争時、日本軍衛生材料工場長であった山口誠太郎さんが、中国の紫金山の麓で花の種を摘み取り、日本に持ち帰って、「紫金草」と名付けた。戦後、山口さん一家及びその子孫たちは、戦争への反省と平和への祈願を籠めて、この花を日本各地にまいた。そして、紫金草は平和を象徴する花として、中日両国の人々に愛されるようになったのである。合唱団は「紫金草」を冠して、「歌がすき 花がすき 平和がすき」という気持ちを携えて、数回中国を訪れ、公演をしている。
会場に行って驚いたのは、合唱団の方々が皆お年寄りで、しかも重病を患っておられたことだった。身体に支障をきたしていても、平和の大切さを伝えるために、団員のみなさんは千里の道も遠いとは思わず、足を運んで、そして心を込めて歌を歌っているのだった。合唱が流れると、その歌声はもう単なる音ではなく、継続する精神力であり、澄みきった泉の水のように聴衆の心の田を潤わせている気がした。私はその音声から伝わってくる合唱団の人々の思いに強い衝撃を受け、心を奪われて、心臓がドキドキした。
「南京虐殺事件を通しての議論で、日中関係がぎくしゃくしているこんな時だからこそ、紫金草を通して知った中国南京の人々の悲しさや、日本人として私達が学んだことを伝えるべきです。」と一人の団員は言われた。その言葉には中国人への理解が含まれていると感じた。その誠心誠意の姿に深く感動したと同時に、歴史を直視する態度と平和を求める真心に感銘を受けた。
プログラムの最後に、私は学生代表の一人としてとして、合唱団と合同で「平和の花 紫金草」を歌った。そのとき見た楽譜集には、中国語のメモがぎっしりと書かれてあった。日本語科の学生である私は、ほかの国の言葉を習うことが簡単なことではないと知っている。まして年をとってからはなおのこと。私は合唱団のみなさんが中国を愛している気持ちをその譜面に感じながら、一緒に歌を歌った。
歌も言葉も交流の橋だ。その橋を渡り、互いの心が通じ合えば、距離が縮まり、互いの好意が分かる、とその時私はそう思った。お互いを理解することが、強い共鳴を引き起こし、共に感じられる温かさが生まれる。合唱団の方々の真心がこもった活動は、中国人の心の鏡に映って残っていくにちがいない。
戦争中、二月蘭が中国から日本へ渡り、紫金草として日本に根付き、その名前の合唱団が、中国南京で戦争への反省と世界の平和を願う活動を行ない、南京の学生と合唱している。このような事実がある限り、中日友好の未来は明るいと信じたい。
たとえ現在、中日両国の間に様々な不和や反目があるとしても、この不和や反目はただ中日の政治上の不協和音にすぎず、民間の友好往来という主旋律を乱すことはできない。今、私たちがすべきことは、未来に目を向け、交流を密にして、理解の輪を広げ、全体の和音を作り上げていくことである。
中日の関係が、「信をもって 誠に日々新たにする」ものとなることを強く願う。そのためには、民間のコミュニケーションの機会がなによりも必要であると考える。文化交流により、心と心とをつなぎ、そこで心と心の距離が縮まれば、中日関係が新しい方向へ進んでいく日は近づいてくるだろう。
日本紫金草合唱団と南京の大学生の交流活動のように、中日の人々で手を携えて、理解をし合い、新たな未来を切り拓くために、私も平和を伝える活動を広めたい。それを目標に、私は日本語科の学生として、卒業後も、より多くの中日両国の人々がお互いの文化や考え方を伝え合えるよう、ほんの少しでも力を尽くしたい。