中国には「紅楼夢」の作者である曹雪芹が言った「黄金万両が容易で、気心が知れた友達は手に入らない」という有名な言葉がある。中日両国本来も一衣帯水の隣国であり、それは私たちが切り捨てようとしても切り捨てられない大変得がたい絆である。言い換えると、それは私たちは気心が知れた友達という目標を達成するために、他の国よりもう一歩先だということである。中国の茶芸と日本の茶道、中国の唐装と日本の和服、そして中国と日本が共用している漢字、それらの文化を見ると、「これは兄弟でなければなんだろう!」と思わず嘆いた。そんな私たちはただ普通の両国関係の枠を超え、もっと理解しやすく、もっと親しい友になれるはずではないだろうか?
このテーマを見たとき、私はすぐある日本人友達のことを思い出した。名古屋出身の「りほ」と言う女の子である。お互いに対象国の言葉を学ぶというきっかけで、先輩の紹介で知り合った日本人であり、私の最初の外国人の友達であった。そして、私とりほはそれぞれ日本語、中国語を学びあい、お互いに「先生」と気軽に呼んでいた。日本語だけではなく、日本の文化、風俗習慣、年中行事なども親切に教えてくれた。おかげさまで、日本に対する関心、興味が一層高くなった。私もできる限りの中国の事情を紹介して、伝統文化、歴史人物、おいしい食べ物、面白いゲームなどいつも興味深く聞いてもらった。
りほは典型的な日本人だと思う。いつも人に迷惑をかけないように、人の気持ちをよく心掛けている。たとえ何か悪いことがあったとしても何も言わずに済むタイプである。私は大学一年生から二年生まで、彼女は何回も帰国したことがある。天津に戻ったらいつも私も含めて何人の中国人の友達にプレゼントを持ってきった。消しゴムや鉛筆のような文房具、お菓子、アニメのフィギュア、グリーティングカードなどいろんなお土産を連れて私たちにくれた。日本人にとってはこれは常識で些細なことかもしれないが、その中に込めた気持ちはいつも私の胸に深く刻んでいた。今年の2月、りほは名古屋に帰った。しかし、その二年間私達がに一緒笑ったり、悩んだりことはきっと一生も忘れられない思い出になると信じている。
私と日本人の友達の付き合いは取るに足らない話だが、これもは中日交流の一つの部分だと信じている。このような友情は中国、日本のどこでもよくあるごく普通のことだが、こんな普通のことこそ中日両国の長い間切り捨てない付き合いを築く欠くことできないのではないかと思う。事実が示したように、中国人でも日本人でも私たちは「草の根」と呼ばれる階層は心の底から両国の友好関係を願い、築いている。この文章を書くうち、一つ一つの文字を打ちながら、心が急に重くなって涙がそっとこぼれてしまった。
今は日本の大学院を目指している。将来のある日に、私とりほは日本の街で会えたら、あれはいい晴れた日だったらいいなぁと祈っている。最後に、その星屑と太陽が共に輝く日が来る前に、私はいつまでもそこに祈りながら待っている!