歌舞伎舞踊の技法を基盤としながら,新思潮による主題,素材を求め,新しい舞踊の創造を目ざす日本舞踊を総称する。1904年,坪内逍遥は舞踊の改革をはかって《新楽劇論》を書き,その理論の実践として《新曲浦島》を上演した。この舞踊運動が端緒となり,大正から昭和初期にかけて,新舞踊運動が活発に展開され,多くの俳優,舞踊家が盛んに新舞踊を上演した。その第一歩は17年の藤蔭静枝(藤蔭静樹)の〈藤蔭会〉であった。それ以後,22年2世市川猿之助の〈春秋座〉,同年7世尾上栄三郎の〈踏影会〉,23年5世中村福助の〈羽衣会〉,24年2世花柳寿輔の〈花柳舞踊研究会〉,30年五条珠実の〈珠実会〉,同年初世花柳寿美の〈曙会〉,同年藤間春枝のちの吾妻徳穂の〈春藤会〉,31年西崎緑の〈若葉会〉などが相次いで誕生。
新舞踊