人間が育つ環境も純林型と雑木林型に分かれるのではないか、というと奇異に感じられるかもしれない。しかし、例えば現代の日本の教育環境などは、( ア )型と言えまいか。そこでは一つの標準的規格にはめ込む教育が主として行われている。それが整然と一種類の木を植えて育てる( イ )のように、私の目には映るのである。
といえば、私が望んでいる教育環境がどんなものか、およそ察してもらえるだろう。植物に例えて言えば、スミレ的資質をもった子どもはスミレとして育ち、大木的資質をもった子どもは大木として育つような環境が望ましい、と私は考えている。それは種々雑多な動植物が各各の住処を得て、それぞれ精一杯生きている( ウ )林の姿に似ている。そして純林の教育ではなく、雑木林の教育の中でこそ、個性的な人間が育ち、彼らによって独創的な仕事が生まれるものだと私は信じて疑わないのである。
(河合雅雄「学問への冒険」より)
1、ア~ウに入る語の組み合わせとして、最も適当なのはどれか。
①ア:雑木 イ:純林 ウ:雑木
②ア:純林 イ:純林 ウ:雑木
③ア:純林 イ:雑木 ウ:雑木
④ア:雑木 イ:純林 ウ:純林
2、「私が望んでいる教育環境がどんなものか」とあるが、筆者が望む教育環境と一致しているのはどれか。
①優秀な子どもを集めて、彼らのために英才教育を行う。
②能力に応じてクラス分けをして、能力に応じた進度で授業を行う。
③能力も個性も色々な学生が集まったところで、それぞれの素質に応じた教育を行う。
④教師と学生が1対1で応対し、一人ひとりのための個別授業を行う。