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黒パン俘虜記8-1

时间: 2018-10-26    进入日语论坛
核心提示:     1 出航するとすぐに、船内放送があった。「みなさま、長い間の抑留生活ごくろうさまでございました。本船は午後六時
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 出航するとすぐに、船内放送があった。
「みなさま、長い間の抑留生活ごくろうさまでございました。本船は午後六時丁度、ナホトカ港を出港しました。本船は明後日の午前中には函館港へ入港の予定でございます。正午現在の気象台の予報によりますと、天候は良好、風はなく、海上は比較的平穏、どなたも帰国の旅をお楽しみいただけましょう」
 乗船の早い者から、入口に近い寝場所を指定され、船員に指示されて、広い船内のあちこちの部屋に分散した。ぼくらは最後に乗りこんだので、逆に一番船底の部屋まで連れて行かれた。
 だだっ広い船艙《せんそう》には隙間なく三段の棚ベッドが作られてあり、そこにはもう先客たちが潜りこんでいた。収容所でもそうであったが、三段の棚となると天井がつっかえるので、平常の姿が腹這いかごろ寝になる。話をしたり、食事したりするときでも、やや頭をかがめなければならない。殆どの人がすぐ横になって、最後まで大事に持ってきた毛布をかぶっていた。
「本船ではただ今から夕食が始まりますが、船内手狭で特別に食堂が用意できません。各部屋ごとに司厨員《しちゆういん》が伺って、配食させていただきます。従って本船では、早い人と遅い人では、二時間以上のズレが生じますので、全員の配食が終了するまでは、どうかどなたさまも、現在おやすみの場所を動かないようにしていただきます。本船の本日の献立ては」
 ここで一息ついた。声の空白。いやでも全員の耳が次の言葉を緊張して待つ。効果をたっぷり心得ている。ぐんと調子を上げた声で
「ライスカレーと梅干しでございます」
 といった。『ウオーッ』というどよめきが湧き上った。拍手が起り、おしゃべりが一斉に始まり、転げ回りながら『ライスカレーだ、ライスカレーだ』と叫ぶ者も出てきた。
 自然にぼくらのリーダー格になっていた、能弁の男は、ライスカレーとカレーライスの違いについて、早速説明を始めだした。
 みんなが切ないほどの思いをこめて、二年間語りつづけ、思いつづけてきた日本の食物が、やっと目の前に出てくるのだ。当然、飯は白米の炊きたてだろう。隣りにごろ寝していた補充のバリトンが
「心憎いアナウンスだなー。泣かせるなあ。芸人崩れかもしれない。わざとやってるなと分っても涙が出てくる」
 と拳で片目をこすった。
 船底ではあったが食事の配給は早い方だった。日によって変るのかも知れないが、三十分ほどでもう、ドアがあいた。白服のボーイが四人入ってきて、廊下の真中にアルミの缶や皿、大しゃもじや、長柄の杓子など置いた。
 一人がすばやく、回りの人数を数えてから、皿の数を分けて揃えると、飯を盛りつけカレーをかけ梅干しを一つ添えて、はしの方から配って行く。
 カレーはもちろんだが、米の飯も二年と三カ月ぶりであった。
 すぐに口に運ぶ、あちこちで声が出る。
「うめえなあー」「おれはこのまま死んでもいいぞ」「これに一本ついていたらなあ」「あさっての夜にはいくらでも飲めるぜ。ちったあー国からのお手当ももらえるだろう」
 ぼくも皿を受けとると、座高の高い体格のせいで、頭をかがめながら喰い始めた。しゃべると、涙声になりそうなので、周囲と話はせず、口の中でとける味を噛みしめていた。
 さっきの人々の声で気になることが急にできてきた。そういえば、二十年の八月分から軍の俸給をもらっていない。陛下の命令で俘虜になったのだから、それからの二十七カ月分を帰還のときに、まとめてもらえるのではないか。戦争していたわけではないので、戦時加算分は削られても仕方がないが、乙幹軍曹の正規の額は十六円、それに二十七をかけると大体四百円と少しになる。函館港で全部もらえれば、ぶっ倒れるまで飲んでも大丈夫だ。いくら物価は上っていても、とりあえず半年ぐらいは寝て暮せるのではなかろうか。
 皿の飯は簡単に消えてしまった。それでも米の飯だ。今までの食事とは違う満足感があった。残った米粒をつまみ、黄色いこびりつきまで指ですくってなめた。皿がきれいになってから、一つ残してあった梅干しを口にふくむ。その酸い味を長い時間かけてゆっくり味わう。ついに種だけになり、その固いからの|ひだ《ヽヽ》のすみずみまでしゃぶりつくして、全く味がなくなるころカチン、カチンと割る音が、周囲から同時にきこえだした。
 中から小さな核が出てくると、兵隊の思考というものは全員が同じに流れて行くもので、一斉にワイセツな冗談をいいだした。どこでも同じことをしゃべっている。おそらく船内のどの部屋でも話題は全く同じであったろう。これは腹が満足している証拠でもある。
 北海道内の妻帯者だったら明後日の夜にはそれをゆっくりたしかめられるのだ。
 アナウンスの指示があって、食器は当番が出て右舷にある洗い場できれいにしてから、炊事に返すことになった。
 ぼくは、甲板に出て海や波を見たかった。冷たい風にあたりたかった。すすんでその当番をひきうけた。両手を組んだ上にアルミの皿を何十枚も重ねてもらい、腰で平均をとりながら、少し揺れだした船内の階段を昇って行った。
 右舷の洗い場の蛇口をひねると勢いよく水がとび出してきたが、飲んでみると海水だったのであわてて吐き出した。近くで洗っている兵隊が大声で話していた。
「明日は何が出るのだろう」
「赤飯と鯛が用意してあるし、稲荷寿司とのり巻きのときもあるそうだ」
「たまんねえ、唾がわいてくる」
「黒パンの時代はもう終ったんだ。金を出して頼まれても二度と口になんか入れてやらねえ」
 陽気に笑った。
 食器を炊事に返してから後ろのマストのところを通りかかろうとすると、救命器具入れの箱に、二人の影が寄り添って坐っていた。妙な親密さがある。一瞬ぼくは井野薬剤師とその妻の林長二郎に似た伝説の美貌の衛生兵かと思った。しかしそのややエロチックな期待は外れた。
 もっと感動的な情景があった。
 民団の老人の、元熱河省次長、萩田大典と、国境で彼を探していた、若い息子とが、二年ぶりの再会のときをすごしていた。暗い海を無言で見ている。もうお互いに言葉は何も出てこないのだろうが、二年ぶりに生きて逢うことができた喜びが、背後から見てもよく分った。
 彼らの邪魔をするのが悪くて、お祝いの声もかけずにそっと横を通って、階段を下りて行った。半分ぐらい下りたところで、その感傷的な気分は一ぺんに吹っとび、背筋に針金を突き通されたような気分になった。足がすくんで動けなくなった。
「野郎を必ず見つけ出すんや。階級は補充、名前は宮田、原隊は関東軍の八八一部隊だ。一部屋ずつ丁寧に聞いて回れ。向うに先に感づかれたらあかんで、態度に気いつけいや」
 小政当人ではないが、五、六人の親衛隊員に細かい指示をあたえているのは、二人の顧問格の同僚のうちの一人で地方《しやば》の極道歴が小政より先輩の、船員出身の暴れ者だ。船内の構造に詳しいので、捜索隊の指揮を取らされているらしい。彼らと別れてもう一年以上たっているが、ぼくはその声を忘れない。
 向うもぼくの顔を覚えているだろう。見つかって話しかけられては具合が悪いことになる。もう一度甲板に駆け戻り、別の扉口から入った。
 できれば彼らより先に船底の大部屋に戻り何とかバリトンにこの危険を知らせたかった。
 船内の狭い廊下は往来の人で混み合っているし、通路は迷路のように入り組んでいる。うまく彼らの目をすり抜けて、先に行けそうだ。別な階段を下りて、あちこちの道を小走りに抜けていったが、実際にやってみると、思うように走れない。連中の捜索は、こちらが考えたよりずっと大規模であった。
 三十人の親衛隊員を動員して、各部屋ごとに個人面接に近い慎重なやり方で、取りこぼしが出ないように調べ回っている。そうなるとぼくらの部屋は最下層だけに、扉口から入ってこられたらもう逃げ場所はない。鉄板の下は海だが、飛びこむこともできない。
 捜索のやくざ者たちをさけて走り回りながら気ばかりあせった。少しでも早く行って、補充のおっさんに耳打ちし、船員に頼んで、機関室の油倉庫にでも隠してもらおう。回り道ばかりしながら、やっと船底の部屋に着いたときは、もう二十分以上たってしまった。外から覗くと、幸いに連中の姿は見えなかった。まだ来ていないのか、既に来たのか。すぐに自分の寝場所の棚へ行き、二段目を見た。だがそこにはバリトンはいなかった。
 その隣りは元大工の現役三年兵だった。
「オペラのおっさんどうした」
 彼は半分|寝呆《ねぼ》けた声で答えた。
「ああ、さっき、三人ばかり同じ部隊の友人だという人が来て、一緒に出て行った」
 再び背筋から腹の中まで冷たく痛くなった。
「どんな感じの人だった」
「どんな感じといったってな、ただおとなしい、ばか丁寧な言葉つきをする人としか覚えてないな。三人とも、おっさんを取り囲むようにして、ちょっと強引な感じがあったが、歌でもぜひ聞かせてもらいたかったんじゃないか」
 いつもすすんで話しかけてくる能弁の男の姿が見えない。
「ウクライナの鼠はどうした」
「オペラが出て行って少したって、何か用があるらしく、ふらっと出て行った」
 頭から血がひいて行き、目の前が暗くなって行くのが自分でもはっきり分った。足の力が抜けて、膝をつきそうになったのを、手を棚につけて、やっと支えた。
「どっちの方へ出て行った」
 元大工は黙って後方の扉を指さすと
「どうした。顔色が青いよ」
 と心配そうにきき返した。
「いや、何でもない。騒がせてすまなかった」
 後ろの扉口へ行った。そこからは、船尾の小さい甲板に出るための専用階段があった。
 その甲板は、碇と鎖の置き場所で、普通の甲板よりかなり低い。船底から昇降口までの階段は短い。扉があけられたまま固定されていたので、暗い狭い場所で、小声で罵りあい激しく体を殴っている音が聞こえた。
 小政の、凄味《ドス》のきいた声も交っている。
 危ない。足がすくんだ。
 うっかり甲板に顔を出したら、そのまま終りだった。乙幹だとすぐ分る。正宗の刀の問題はまだ決着がついていない。執念深い男だ。忘れているはずはない。そのまま後ろ歩きでそっと戻り、廊下まで出ると、別の階段を伝わって、上甲板まで駆け上った。
 暗いので誰も出ていない。かなりの横揺れも加わってきた。後部の綱巻き用のブイの横で四つん這いになるとそっと顔を出して、下の甲板をのぞいた。
 既に私刑の決着はついていた。船尾灯のかすかな光りの下で、男が一人ぐったりとして横たわっていた。もう声も出せないようだ。
 続いて怖しい場面が展開した。
 二人の親衛隊員が、何の反応もない体の両手、両足を持つと、二、三度振って惰力《だりよく》をつけて、手摺り越しに海の中へ威勢よくほうり投げた。高く弧を描いてから海面へ落ちて行ったが、最後の叫び声も聞こえなかったのはもう意識が無かったのか、とっくに死んでしまっていたせいだろう。
 小政の低く押し殺した声が聞こえた。
「こう! このことは誰にもいうな」
「分っとるで」
「一人ぐらい人間が消えたかて、証拠さえ無けりゃ問題にならんわい。誰もこん野郎とわいらを結びつけて考える者は居《お》らん。去《い》のう。ああさっぱりしたぞい」
 彼らはすぐ後尾甲板から消えてしまった。後には何一つ残らない。暗いので上から見ただけでは、はっきり言えないが、多分そこには血痕一つなかったろう。プロの怖しさを知った。
 ぼくはそっと自分の部屋に戻った。二段目の棚を、上に居る民団の人に頼んで最上段に替えてもらい、頭から毛布をかぶって、寝こんでしまった。
 朝になると人々は争って甲板に出た。ぼくも出たかった。何百人もの男たちを詰めこんでいるので、船底の空気は重苦しく、いやな匂いがこもっていた。
 でもそんなことより、生命が惜しい。
 それからは昼も夜も、一度も甲板に出なかった。連中の一人に偶然にでも会ったら、バリトンと同じ目にあったろう。
 食事のときも上から手を出して受けとると寝たまま喰べた。便所へは、昼間耐えに耐えて、夜中にみなが寝静まってから、そっと起きて、あたりをうかがいながら行った。
 紙芝居をやっていたとき見知った者がいて、寝ているぼくの所へ、何度か映画講談をやってくれという誘いがあったが、船酔いを理由に全部断わった。
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