ぼくはいつもこの原稿の締切日を迎えると、憂鬱《ゆううつ》になる。つまり何を書いていいのかさっぱりテーマがないのだ。この「論壇」の内容は単なるエッセィではなく、何か世間や他人の不正を見つけて、一言、二言文句をいう場なのである。
そこでいつもあれこれ社会への批判をやろうとするのだが、よくよく自分のことを考えてみれば、結局自分自身にその責任の一端があるのに気づいてしまい、急に意気消沈してしまうのだ。
ある事柄に関しては批判することができるかも知れないが、別の事柄においては自分が批判の対象になっていることがある。
公害や物価の上昇という身近な問題について考えてみても、社会に対して腹の立つことだらけである。しかし、これらの問題の解決をわれわれはあまりにも政府にだけ頼りすぎているのではなかろうか。公害に対してもわれわれは平気で車を乗りまわすだろうし、たいして必要でない物まで、買ってしまうことだってあるはずだ。
こんな風に考えてみると、世の中を変えるためには、まず自分自身を変えなければ、どうにもならないようなところまできているのではなかろうか。結局はわれわれのエゴイズムが今日の社会を形成してしまったのであるから、もしこのような社会に不満を抱くのなら、この社会から手を引くようにするより仕方ない。
人間の幸せは物質の繁栄にあると勘違いしていたことに最近の若い人達の一部は気づいているはずだ。そして彼らは、ほとんど物を必要としないような生活を送りはじめている。ぼくはこのような若い人達を何人も知っているが、彼らは非常に明るくて平和的だ。今まで多くの物を外に求めていたが、このような人達は無限の物を自分の内部に求めようとしている。
もし、このような人達が日本中を埋めつくせば、日本は世界にとり残され、どこの国も相手にしてくれないだろう。日本中の都市は雑草におおわれ、国中が緑一色になって、野鳥や昆虫の王国になってしまうだろう。
そしてこんな日本にはどこの国からも攻撃を加えてくることはないに違いない。