事態は、こういうところまで、密々に進んでいたのである。
そして貞盛は、常陸から山越えをしては、幾たびか、下野の田沼へ往来していたのであったが、将門方には、まだそれまでの機密は探り得ていなかったらしい。
玄明にしてもそうである。
彼の齎《もたら》した情報そのものが、極めて不充分なものだったし、それに玄明自身、うしろめたいものがあるので、そのいいつくろいに、強いて、事実を歪曲している傾向もある。
だが、不死人にすれば、何はともあれ、おもしろくなって来た。思うつぼへ向いて来たといってよい。
「不意をついて、相手の狼狽のうちに、虚実を見る、という計略でしょう。ひとつ常陸へ乗り込んでみようではありませんか」
その年の冬、十一月のことである。
不死人は「時来れり」と考えたので、こう将門へ、献策した。
「え。……乗込む? おぬしが常陸へ行くというのか」
「いや、そんなケチな小策ではありません。堂々と、兵馬を立て、陣容を作って、相馬殿が国司維茂に見参せん——と公言を払って行くのです」
「口実がないではないか、口実が」
「表面の理由は、いくらでもあります。——藤原玄明なる者が、豊田へ哀訴して来たによって、これを助けてやって欲しい、玄明の追捕を止め、彼を、旧職に復してもらいたいと申せば、世上への聞えもよいでしょう」
「やろうか。不死人」
「やるべしです。そして、われわれが常陸に入れば、彼らの狼狽ぶりがどうか、すぐ分る。また、貞盛も慌て出して、尻っ尾を出すにちがいない。——場合によっては、その途端に、貞盛めを、生け捕るなり、首にして凱旋《がいせん》するような事にもならない限りもありません」
この策には、興世王も、口を極めて、賛同した。将頼、将平、将文なども、
「さあ、そう巧く行くだろうか?」
と、多少の二の足をふんだが、まったく不賛成でもない。
そして、その年、十一月二十一日のこと。
将門はついに肚をきめた。部下の将兵一千名を従え、豊田から常陸へ向って出発となった。
後に思い合せれば、この一歩こそ、彼にとって、致命的なものであり、これまでの私闘的な争いから、天下の乱賊と呼ばれる境を踏みこえたものであったが、その朝の彼の行装や人馬は、意気揚々たるものであった。——すべての場合、人間が他の陥〓《かんせい》に落ち入る一歩前というものは、たいがい得意に満ちているものである。