「なぜ、甲州へ向って、越後から使いを立てねばならぬか」
「御当家は、武門をお捨てになる覚悟か。屈辱《くつじよく》だ。恥を知れ」
「使者を送って、なお恋々《れんれん》、和を講じようなどとは。——ああ、弓矢とる身もいやになる。道義のすたりだ。いずれはこれ、なるべく現状にありたい重臣たちが、お館《やかた》の御決意をにぶらせたものだろう。ゆるし難い。断じて看過できぬ。——直江大和守どのか、柿崎和泉どのの邸か、いずれへでも押しかけて、真意のほどを糺《ただ》してみねばならん。同意の者は、みな来い」
「行かいでか!」
「行こう」
いあわせた十名以上の者がことごとく起って大廊下へ出た。ところがただ一人、なお隅の大きな柱へ背を凭《もた》せかけたまま、眼をとじて、起とうともしない者があった。
ひとりが気づいて、
「弥太郎。なぜ来ない? 早く来ぬか」
と、うながした。
眠たそうに上げた顔には、白あばたがぽつぽつあった。鬼小島弥太郎は、その顔を横に振るのも懶《ものう》そうに、
「わしは行かん」
と、いったきりで、腰を起てるふうもなかった。