弥太郎が示した物は、お濠《ほり》の鴨《かも》だった。鴨の喉首を握って顔の上にさしあげて見せている。
もちろん、鴨は死んでいる。——そういえば今し方、雪風のなかで鉄砲みたいな音がした。ここの大土間に懸けてある鉄砲を持出して、一発に仕とめて来たものかもしれない。
「たいへんな事をやりおった……」
どの顔も、どの顔も、蒼白になってしまい、それに食慾を感じるどころではない。なぜならば、お濠際《ほりぎわ》の高札《こうさつ》にも、
鴨捕ること厳禁
と、はっきり書いてあるし、日ごろから主君の謙信のことばにも、
「——濠の水禽《みずどり》も、要害の一ツ」
という事を聞いている。もちろん犯す者は死罪と、先代の主君のときから極《き》まっているものである。
弥太郎は、台所の方へ通りながら、しいんとしている連中を見下ろして、
「誰か、鍋《なべ》をかけろ。そのまに毛をむしって、おれが料理してくる」
といった。
忠実に、彼は、台所の外へ出て、毛をむしり、肉と骨をほぐして、やがて大皿に盛って来た。
けれど、もう誰も、そこには居なかった。
「……どうしたんだ、皆は」
と、呟いたが、べつだん怪しもうともせず、ひとりで鍋をかけて、ひとりで食って、そのまま寝てしまった。
その代りに、夜が明けると、役人が来て、彼を物々しく取囲み、城内へ拉《らつ》して行ってしまった。
謙信の前にひきすえられて、
「何故、禁を犯したか」
と、詰問されたとき、彼の答えはすこぶる平凡だった。
「どうも日ごろから、お城の往《ゆ》き還《かえ》りに、あんなに沢山飛んでいるのを見ると、いちど食ってみたいという慾心が出てなりませんでしたので、その煩悩《ぼんのう》をはらす為、思いきって、一羽頂戴いたしましてござりまする」
謙信は、苦笑してしまった。といっても、これだけの返答で免《ゆる》されるはずもない。いずれ弥太郎のことだから生涯の詭弁《きべん》をふるったろう。それも詭弁とは分っているが、もともと鴨一羽ぐらいで大事な臣下を殺したくないのが謙信の本心であったろうから、何とはなく、謹慎《きんしん》程度でゆるされてしまった。
弥太郎の失踪は、それから間もなく、謙信の上洛の途中に起り、三年目に帰藩してから後初めて公然と、前の罪もゆるされる形になった。のみならず、彼自身の人間も、武者修行中にすっかり変って、いわゆる智勇を兼ね備えて来たので、役付も次第に取立てられ、功も積んで、今では一方の部将として、世間の人々のあいだに、
「甲斐の初鹿野伝右衛門は——」
といわれれば、かならず、
「越後に鬼小島弥太郎がいる」
と、すぐ思わされるようにまでなっていた。