討死を遂げた者は、何かその日のまえに、予感めいたことばを洩らしているという。
「今朝がたから頻《しき》りに、きょうの戦は典厩の死に場所ぞと、一度ならずいわれていたがさては早くも、御舎弟様には……」
今や、全面的に、武田方の敗色は濃い。
「いで、我も御供をこそ」
と諸角豊後は、死をいそいで、いよいよ傍目もふらず、次々の敵を迎え打った。
その勢いに撃退されて、柿崎和泉の隊はいちど四散したが、同じ上杉方の新発田《しばた》尾張守の隊が、諸角隊の側面を撃って来た。
柿崎隊もひっ返す。当然、挟撃をうけて、豊後守は、まったく苦戦に陥った。
「名ある侍とこそ見奉る。新発田が郎党にて、松村新右衛門と申す。お首をわたし給え」
豊後守のうしろから、一名、こう呶鳴りながら、駆けて来る者がある。
振向くと、徒立《かちだ》ちの武者だった。長い樫の柄の槍をひッさげている。
「推参っ」
と叱りながら、馬首を向け更えて、あぶみ下がりに、斬り下ろした時、新右衛門の槍は、相手の馬の平首を撲《なぐ》った。豊後は、もんどり打って鞍から落ちた。
「討ったっ。討ったっ。武田方の侍大将、諸角豊後の首を——」
狂舞しながら、掻き切った首をさしあげて、敵味方へ示しているまに、その松村新右衛門はもう、豊後守の家臣の石黒五郎兵衛、山寺藤右衛門、広瀬剛三などに取囲まれ、その槍ぶすまの中に、どうと仆《たお》れていた。