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上杉謙信82

时间: 2018-11-29    进入日语论坛
核心提示:勝《かち》 鬨《どき》 きれいに上杉勢が引払ったあとを、検察に行って、一巡馬をとばして帰って来た初鹿野伝右衛門は、「はや
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 勝《かち》 鬨《どき》
 
 
 きれいに上杉勢が引払ったあとを、検察に行って、一巡馬をとばして帰って来た初鹿野伝右衛門は、
「はや、腰兵糧の殻一つだに、跡には散らかっておりません」
 と、報告した。
 信玄は聞いて、
「それみよ、それほどなたしなみある敵、もし撃ちかかったら、少なくも、彼と同数な味方を損じたにちがいない」
 と、左右のものへいった。
 しかし、諸将は口々に、
「この最後まで、八幡原の芝居(戦場)を踏みしい給うたからには、必定、このたびの御合戦、味方の御勝利なることは、疑いもございますまい。よろしく御勝鬨《おかちどき》の式を御執行あって然るべく思います」
 と、述べた。
 それには、信玄も異論はない。一族の弟、数名の大将、数千の部下を失い、また自分も負傷し、一子太郎義信まで、数ヵ所の傷を負っている惨状だが、
「彼はみだれ、我は結び。彼は去り、我は残った」
 と、信じうる事実の上に、満々として、心は戦勝に誇っていた。
「芝居(戦場)を浄《きよ》めよ」
 信玄はその用意を命じた。
 海津へ立退いた高坂弾正その他の将士もすべて会した。
 式は、広い地域を要する。全軍、隊伍を組んで、粛と整列し、中央の浄地には軍神を祭り、塩水を撒いて、白木の祭壇に、榊《さかき》をたて、燈明をともすのである。
 そして、帷幕《いばく》の大将の重なる人々が、次のような役割をもって配され、祭壇に向って厳かに立った。
一 先祖の御旗持  高坂弾正《こうさかだんじよう》
一 孫子の御旗持  山県《やまがた》三郎兵衛
一 右方、南天弓《なんてんゆみ》  小山田備中守
一 左方、南天弓  馬場民部少輔《しようゆう》
一 陣太鼓     跡部大炊介《あとべおおいのすけ》
一 陣貝      長坂長閑《ちようかん》
一 御打物《おんうちもの》     飯富兵部少輔
一 青貝の槍    小畑山城守
一 拍子木     甘利左衛門尉
 総帥《そうすい》信玄は、やや離れた位置にあって、一族、旗本をうしろに、床几へ腰かけている。
 右手を繃帯していた。その白い布がわけてここには目立つ。また、無言に甲州武士の胆心に何ごとかを訓《おし》えている。
 その床几の前へ、恭《うやうや》しく、一人の将が、祝肴《いわいざかな》をのせた折敷を捧げると、信玄は、その勝栗を一つ取って、左の手で、日月の大扇《たいせん》をさっと開く。
 そして立上がるなり、大空へ向って、
「えいっ、えいっ、おおうっ……」
 と、いう。
 その大音について、諸大将以下、総軍の兵も、声いっぱい、
「えいっ、えいっ、おおうっ……」
 と、凱歌する。
 三度、繰返すのであった。
 天下泰平、国土安穏、万民安全、怨敵退散。
 南天の弓が、ぴゅっ、ぴゅっ、と風を斬る。
 ふたたび、天地もとどろくばかり、えいっおうっ——をさけぶうちに、それはただの喊呼《かんこ》となり、歓声となり体じゅうの熱気と感動を空へ放って、あとは自らわれ知らず頬に流れ下る涙となった。何故かは覚えず、ただ双頬にそれが濡れてくるのだった。
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