きれいに上杉勢が引払ったあとを、検察に行って、一巡馬をとばして帰って来た初鹿野伝右衛門は、
「はや、腰兵糧の殻一つだに、跡には散らかっておりません」
と、報告した。
信玄は聞いて、
「それみよ、それほどなたしなみある敵、もし撃ちかかったら、少なくも、彼と同数な味方を損じたにちがいない」
と、左右のものへいった。
しかし、諸将は口々に、
「この最後まで、八幡原の芝居(戦場)を踏みしい給うたからには、必定、このたびの御合戦、味方の御勝利なることは、疑いもございますまい。よろしく御勝鬨《おかちどき》の式を御執行あって然るべく思います」
と、述べた。
それには、信玄も異論はない。一族の弟、数名の大将、数千の部下を失い、また自分も負傷し、一子太郎義信まで、数ヵ所の傷を負っている惨状だが、
「彼はみだれ、我は結び。彼は去り、我は残った」
と、信じうる事実の上に、満々として、心は戦勝に誇っていた。
「芝居(戦場)を浄《きよ》めよ」
信玄はその用意を命じた。
海津へ立退いた高坂弾正その他の将士もすべて会した。
式は、広い地域を要する。全軍、隊伍を組んで、粛と整列し、中央の浄地には軍神を祭り、塩水を撒いて、白木の祭壇に、榊《さかき》をたて、燈明をともすのである。
そして、帷幕《いばく》の大将の重なる人々が、次のような役割をもって配され、祭壇に向って厳かに立った。
一 先祖の御旗持 高坂弾正《こうさかだんじよう》
一 孫子の御旗持 山県《やまがた》三郎兵衛
一 右方、南天弓《なんてんゆみ》 小山田備中守
一 左方、南天弓 馬場民部少輔《しようゆう》
一 陣太鼓 跡部大炊介《あとべおおいのすけ》
一 陣貝 長坂長閑《ちようかん》
一 御打物《おんうちもの》 飯富兵部少輔
一 青貝の槍 小畑山城守
一 拍子木 甘利左衛門尉
総帥《そうすい》信玄は、やや離れた位置にあって、一族、旗本をうしろに、床几へ腰かけている。
右手を繃帯していた。その白い布がわけてここには目立つ。また、無言に甲州武士の胆心に何ごとかを訓《おし》えている。
その床几の前へ、恭《うやうや》しく、一人の将が、祝肴《いわいざかな》をのせた折敷を捧げると、信玄は、その勝栗を一つ取って、左の手で、日月の大扇《たいせん》をさっと開く。
そして立上がるなり、大空へ向って、
「えいっ、えいっ、おおうっ……」
と、いう。
その大音について、諸大将以下、総軍の兵も、声いっぱい、
「えいっ、えいっ、おおうっ……」
と、凱歌する。
三度、繰返すのであった。
天下泰平、国土安穏、万民安全、怨敵退散。
南天の弓が、ぴゅっ、ぴゅっ、と風を斬る。
ふたたび、天地もとどろくばかり、えいっおうっ——をさけぶうちに、それはただの喊呼《かんこ》となり、歓声となり体じゅうの熱気と感動を空へ放って、あとは自らわれ知らず頬に流れ下る涙となった。何故かは覚えず、ただ双頬にそれが濡れてくるのだった。