文学賞に関連した話を書いているうちに、おもい出したことがある。
七年ほど前、「芸術選奨」という賞を文部大臣から貰ったことがある。といえば、たいていの人は驚く。私も驚いた。
対象になった作品は、主人公である中年男の運転する車の中で、女子大生がオシッコを洩らしてしまい、それがキッカケになって愛欲関係に入るところからはじまる小説なのだから、「寝耳に水」の諺《ことわざ》どおりの気分であった。
不可解なので、調べてみた。賞の選考はしかるべき評論家がおこなって、文部省は口をはさんでいないと分かったので、さからわずに貰っておいた。あとで作品の内容が分かってから、あるいは担当の人は上司に叱られたかもしれない。
授賞式の日、文部大臣から賞状を手渡されたとき、新聞社のカメラマンのあいだから笑い声が起った。やはり奇妙な出来事で、この賞だけは、いくら頑張っても私のところにはこない筈の性格のものであったのだが。
当時、ときどき出かけていた同伴ホテルがあって、小さい建物なのだがそのころとしては珍しくエレベーターがあった。
この種のホテルでは、サービスしないことが最上のサービスといわれている。
違った女を連れているときに、
「毎度ごひいきに」
などと言われては困るし、
「なにかご用は」
と、しばしば部屋に顔を出されても迷惑である。
客の顔に見覚えがあっても、知らぬふりをしているのがエチケットであり、サービスである。
活字に興味をもっている人以外には、私は顔を知られていないし、活字文化圏の人の数は甚だすくない。このホテルでも、知っているが知らないフリをしているという気配はなかった。
ある日、勤めたばかりの若い女がエレベーターに一緒に乗って、部屋まで案内してくれた。清楚といってよい感じで、白い割烹着《かつぽうぎ》も甲斐々々《かいがい》しくみえる。
この若い女をその後観察していると、すこしずつ汚れがついてきて、半年経ったころにはすっかり様子が違ってしまった。割烹着のポケットに投げやりな感じでタバコの箱が突っこまれているようになった。
やはり、同伴ホテルに勤めているということは、影響の受け方がこんな按配になるものなのかなあ、という感慨をもった。
文部大臣の賞というのは、小説家にとってはどうということもないものなのだが、新聞は大きく報道する。とくに、私の場合は異例の感じだったので、見出しに名前が大きな活字で出た。
顔写真も出た。
そういう新聞が出てしばらくして、そのホテルに出かけた。係りの女は毎回同じとはかぎらないのだが、その日はその女の番に当ってエレベーターに乗った。
それまでに、話をしたことがないのだが、エレベーターが昇っているとき、女がおもわず口から出たという按配で言った。
「このたびはお目出とうございました」
その女は、しばしばやってくる不良と思っている人間が、文部大臣に賞をもらえると知って、自分たちの職業に自信をもったのだろう。
そのために、祝いの言葉がおもわず口から出たのであろう、と推察した。