フグは例外はあるにしても、いまは大層高価な料理になってしまい、店構えもものものしい家が多い。しかし、もとは落語の「らくだ」の馬さんが肴にして一パイ飲もうと一匹ぶらさげてのそのそ歩いていた、といった風の安直な食べ物だったのではないか。
ただ、猛毒のある種類のものがあるから、調理法がむつかしい。馬さんのように自己流で料理して死んでしまい、
「へー、あのラクダがフグで……、フグがよく当てたねえ」
ということになる。
毒は卵巣にあるというから、そこだけ取り除けばよい、というわけのものではないらしい。そこで、特別の技術のための料金というのも含まれることになるだろうが、それでも高価すぎる。
初心者が海岸で釣をすると、狙った魚はかからないで、フグが鉤《はり》の先にくっついてくる。怒って地面へ叩きつけると、フグも怒って風船ガムのように腹をふくらませる。しかし、あの種のフグには毒もないし旨くもないらしい。
いまの瀬戸内海ではどうか知らないが、以前は山口県の沖合いの徳山近海のフグが最上等といわれていた。
阿川弘之は広島の産であるが、その兄さんの家で徳山のフグをご馳走になり、大へん旨かった。アガワはかなり年上のその兄さんに絶対服従で、滑稽なくらい恐れていた。
これからフグを食おうというとき、アガワが風呂に入っていた。私はガラス戸越しのところで手を洗いながら、
「おい」
と、声をかけると、
「はいっ!」
新入社員の社長にたいするような、少尉クラスが将官にたいするような返事が戻ってきて、びっくりした。私のような職業では、一生に一度聞けるかどうかの声音で、貴重な体験だった。
岡山在住の私の叔父は、東京ではフグを食べない。都条例で、フグのキモを食べることを禁止しているからである。瀬戸内海沿岸の県の幾つかでは、解禁なので、
「キモのないフグなんぞ食えるか」
と、いうことになってしまう。
ポン酢でキモを溶かして、薄づくりの身をつけて食べるわけだ。
最近も、その叔父が電話をかけてきて、
「フグもそろそろ終りだぞ、一度帰ってこい。もっとも、今年は四、五人死んでな」
と、いうので私は驚いた。
「いまどき、フグに当るということがあるのかねえ」
「いやあ、いい加減な魚をぶら下げて、勝手に料理するから、いかんのじゃ」
要するに、「らくだ」の馬さんの世界である。
いかにも調理がむつかしそうなものに、スッポンがある。こちらは、毒はないが。このスッポン料理日本一といわれている店が、京都にある。名を隠してもすぐ分かるから仕方がない。すなわち大市《だいいち》である。現在はどうなっているか知らないが、十年近く前、この店へ行ってみた。
評判どおり、料理はすこぶる結構だった。しかし、気に入らないことが二つあった。
といえば従業員の態度かと頭が向くかもしれないが、そうではない。おしぼりから安香水(この際、高級品でも同じことである)のにおいが強く漂っていたことと、コップに入った室温ぐらいの甘ったるいグリーン・ティーが出てきたことである。
やはり、料理はマズければ論外だが、それだけではないようだ。