そのO君に聞いた話だが、友人に競馬狂がいて、しだいに細君の機嫌がわるくなり競馬場に出かけるのに苦労するようになってきた。いろいろ口実を設けないと、家を出ることができない。
ある日、子供をダシにすることを思いついて、
「動物園に連れて行ってやろうか」
と誘うと、当然子供は喜んで、積極的になる。
ここで、私は自分の小学生のころを思い出した。父方母方合わせて三人の叔父が、私にはいた。当時、三人とも大学生だったが、父親の弟のほうは、自分の母親(すなわち私にとっては祖母に当るわけだが)と、出かける前にしばしば長い言い争いをしていた。
近くにいて聞いていると、
「ちょっと二十エンください」
「また、おまえは。どうせロクなことに使わないんだから、そんな大金はあげられないよ」
当時、大学出の初任給が六十エンくらいだったから、二十エンは小づかいにしては大きな額にちがいない。ついでにいえば、競馬の馬券は一枚二十エンで、それ以下のものはなかった。限られた連中の遊びであったわけだ。その叔父は硬軟兼備の不良といってよい男だったから、しだいに会話が激烈になってくる。
「だいたい、おまえは」
「なに言ってやがる」
とか、怒鳴り合っているが、結局は叔父が金をむしり取って出かけてゆく。
この無茶な叔父は、庭で無心に遊んでいる私に、不意にホースで水道の水をぶっかけて喜ぶような男だったが、へんにやさしいところがあった。帰りには、かならず私にミヤゲを買ってきてくれる。それも、夜店で売っている安もののオモチャで、七つ道具の付いているナイフとか竹トンボとか水中花などで、そこがかえって嬉しかった。
母親の弟である二人の叔父のほうもかなり無茶で、酔っぱらって川の中を歩いていたり、しばしば運転手と喧嘩してスパナで額を割られたり、靴にウイスキーを注ぎこんで飲み干してみせたりしていた。
しかし、こっちの方は母親(すなわち彼らの姉)から金をまき上げる方法がちがっていて、私をダシにする。遊園地に連れて行ってやるから、などといって必要経費らしきものを要求する。本当に連れてはゆくのだが、余った金を活用していたらしい。
あるとき、栗ひろいに連れて行ってやる、ということになった。郊外に入場料を取る栗林があって、そこの入口までたどり着くと、日本髪に結った若い女がすーっと現れた。なんの説明もなく一緒になって、門を入る。
細い道がつづいていて、両側に小さな栗の木が並んでいるが、栗の実は一つも見付からない。
歩きつづけているうちに、大きな栗の木が一本だけ生えていて、実がたくさん生《な》っている場所に出た。叔父がその木の実を、竹竿《たけざお》をみつけてきて叩き落していると、そばの家屋から人が出てきて怒鳴った。
その木は、個人の所有物であったわけだ。
帰りの電車の駅まで行くと、
「おまえは、ここから帰れよ」
と叔父がいって、その日本髪の女と姿を消してしまった。
ところで、子供をダシにして競馬場へ行った男が帰ってくると、その細君がたずねた。
「坊や、動物園はどうだった」
「うん、お馬がたくさんいたよ」