ムカデは百足とも書く。
靴は一|足《そく》、二足と数える。
ムカデは体節ごとに一対の足があるが、その足が百本あるいは百|対《つい》すなわち二百本あるわけではないだろう。要するに、たくさんの足が生えているというところから、「百足」という文字が出てきた。そこまでは分かるのだが、「百足」とは百本のつもりか百対のつもりかについては、曖昧《あいまい》である。
岡本太郎さんだったかの家を訪れると、玄関のタタキにピカピカに磨いた靴が百足並んでいた、という話がある。すべて、同じ形で同じ色の靴である。
ここからますます記憶が怪しくなってくるのだが、訪問した誰かが、
「どうして、あんなに沢山の靴が並んでいるのですか」
と、たずねると、
「いやあ、ぼくがムカデになっちまったときの用意にね」
という返事だったのか、
「いま、ぼくの友人のムカデが訪ねてきていてね」
であったのか、それともまったく別の答だったのか、よく思い出せない。
とにかく、あんなに沢山の足があるのは、不気味であって、私はムカデは苦手である。
しかし、ムカデを見ると顔面|蒼白《そうはく》棒立ちになるほどのことはない。
中学時代の友人で、そのころすでに柔道の黒帯だった立派な体格の男が、クモを見ると蒼《あお》くなって慄《ふる》える。こういう例は、よく見かける。
落語の「マンジュウ恐い」ではなく、芯《しん》から恐怖感に取|憑《つ》かれるわけで、あれはどういうことなのだろう。
蛇もその種の生きものの一つで、玩具《おもちや》のヘビを突きつけただけでも、泣いて慄える女がいた。もっとも、女の場合は額面どおりに受取ってよいものかどうか、一種の媚態《びたい》と疑えるところもある。
ヘビは私も苦手である。だいたい爬虫《はちゆう》類はイやなのだが、ヘビを食わせる店に連れて行かれたことがある。浅草雷門の近くにあった。
鉄の鉤《かぎ》で天井から逆さ吊《づ》りにされたマムシの怒って三角形になった頭を、パチンと鋏《はさみ》で切ったあたりまでは、あまり良い気分ではなかった。
しかし、芯から恐いというわけではないので、尻尾《しつぽ》のほうから血をしぼり出しているのをみているうちに、ヘビがウナギ程度のものにみえてきた。
逆にいえば、ウナギというのをあらためて眺めてみると、なかなか薄気味わるい形をしている。
ヘビの血は明るい半透明のブドウ酒色で、その中へ少量の赤ブドウ酒と生ギモを入れた液体を、まず飲み干す。つづいて出てきた肉の蒲焼《かばやき》は、いくぶん身が堅かった。
ところが、ついでにムカデと毛虫を食べてみないか、といわれた。これはいささか閉口である。毛虫というのは、細い毛がぎっちり生えている上に粉っぽい感じなので、これも歓迎できない。
念のために、現物を見せてもらうと、ムカデはカラ揚げにしてあるので、足はみんな縮んで細長い管のようになっている。口に入れて食い切ろうとすると、堅いものが歯に当った。
調べてみると、竹の串《くし》が胴体の中に入っていた。
毛虫や芋虫は干したものらしく、粉っぽい感じはなくて、ナツメの実のようである。口に入れて噛むと、乾いた音で砕けた。こうなると、粉っぽいところや|ねばねば《ヽヽヽヽ》したところがなくなってしまっていて、ゲテモノという感じではない。