三亀松とは、十年ほど前に仕事にからんで初めて会ったのだが、なんとなく気が合った。一緒にキャバレーに出かけたりしたが、そういうときには洋服姿になる。ダンスも上手だったが、洋服の三亀松はどこか昭和初年のモダンボーイ風であった。
その三亀松が、言う、
「おまえさん、メカケだけは持つもんじゃないよ」
私も同意見で、そのことに関しての男女間の心情の機微について、文章に書いたことがある。しかし、三亀松の意見は単純明快で、
「立たなくなっても、お手当ては払わなくちゃいけないんだから、こんなソンなことはない」
と、いうことになる。
「師匠はいつから立たなくなったんだい」
「五十になったら、ダメになった」
その後、会うたびに確かめてみると、
「五十を過ぎても、立てようとおもえば立つんだけど、面倒くさくなって、ほかの愉しみのほうがよくなった」
という結論に落ちついた。
三亀松は「四斗樽《しとだる》説」で、男はその分量を使いはたすと立たなくなる、五十でしぼり尽くした、と最初は言っていた。
五十歳では早すぎるから、興味が別のほうに移ったというのもウソではないだろう。
ただ、その興味が性的なものに移る場合は、どう解釈したらよいのか。永井荷風も五十くらいで立たなくなった気配があって、それを境目にして自宅にシロクロ演技者の夫婦を呼び寄せて撮影することを愉しみはじめている。
三亀松にもその種の写真を撮す趣味があって、いろいろ見せてもらった。ただし、戦後間もなくはじまった趣味らしいから、当時はまだ四十をいくらか出た年齢である。
墓地の中を盗み取りしている写真があって、大学生が制服制帽のまま尻だけ出している。その下に、モンペをずらした女が仰向けになっていて、戦後風俗史として貴重な資料だとおもった。
写真機を竹竿《たけざお》の先にしばりつけて、セルフタイマー装置をかけてシャッターを押す。まだ水洗便所が普及していないころのことで、その竿を汲《く》み取り口からそーっと差し入れる。ジージーという音がつづいて、シャッターが切れる直前、小水がレンズにひっかかって不成功に終った、などという話をしてくれたこともある。
なにを「奇人」と呼ぶか、いろいろ説がある。それぞれ一理あるが、自分で自分を至極当り前の人間と信じこんでいるが、他人からみれば奇抜な言動をしていることになるのが、最高の奇人だというのが私の意見である。
友人にそういう人物がいて、「奇人」だというと本気で首を傾げたり、ときには怒ったりする。したがって、名前を出さないが、五十代の半ばだというのに、やたらに立つ。
これから書くことも、その人物にとっては日常的な事柄で、わざわざ話題にするまでもないにちがいない。しかし、普通人にとってはおもしろい。
ある夜この人物が若い友人と酒を飲みながら、説教をはじめた。いかに女というものが厄介な存在であるか、困った動物であるか、かるがるしく関係をもってはいけない、というようなことを喋《しやべ》ってるうち、自分の言葉に刺激されてしまい、
「あー、やりたくなったあー」
と、電話をかけに行ってしまった。