「うん、これはウメエ。なんてえ料理だい」
だいぶ昔の話だが、中国料理店で、近藤啓太郎がそうたずねるので、返事した。
「フカのヒレだよ」
しばらくたって、またその料理屋にゆくと、
「サメのヒレを食わせてくれ」
と、叫ぶ。
似たようなものだが、やはり違う……、と書いて念のため調べてみた。サメの大きいのをフカというのだと信じていたのだが、これは関東の場合で、関西ではサメ類の総称をフカというのだそうである。つまり、コンドウの言い方は謬《あやま》りでもない。
だいたい、中国料理の註文のしかたに、料理の名をいう必要はない。キーコーチーとかホンシャオユーツー(これがフカのヒレの料理の一つ)とか、すこしは覚えているが言ってみたところで、どうせ発音がデタラメになるのにきまっている。
私は子供のころから食道楽の父親に連れられて、神田今川橋近くの小さな汚ない店にしばしば行った。客はほとんど本場の人であった。
以来、途中の空白期はべつにして、中国料理にはモトデをかけたつもりである。しかし、註文するときには料理の内容を具体的に説明することにしている。
「ほら、焼いた鴨《かも》の皮を、ネギとミソと一緒にくるんだやつ」
とかいう按配《あんばい》。
このほうが、間違いがなくて安心である。しかし、フカのヒレの料理を具体的に説明するのは、なかなか困難である。この場合は、名を言ったほうが手早いだろう。友人のさる半可通が、上等の中国料理店に昼めしがわりにソバだけ食べに入った。
「ナントカカントカ」
と、中国語で日本人のウエイトレスに註文すると、長いあいだ待たされたあげくにヤキメシが出てきた。さっそく苦情を言うと、
「最初から日本語で言えばいいのにさ」
とその女が返事をした、と愚痴をいう。
「それは、その女の言い分が正しい」
と、私は判定しておいた。
この半可通のことをいえば、際限なくその種の話が出てくる。しかし、怒りっぽい男だから、このくらいでやめておく。それにしても、性懲《しようこ》りもなくその種のことを繰返すところが私には理解できない。
この男は食通をもって自負しているが、グルタミン酸ソーダの愛好家で、味もみずにこれを振りかける。甚だ見ぐるしいので、一緒に食事をするのを好まない。メーカーから苦情が出るといけないので一言すれば、あの白い結晶は家庭料理の場合には役にたつ。ただし、一級の料理の場合は、舌の上で味が散らばってしまうので私は好まない。
たとえば、腕とタネに自信のある天ぷら屋にはけっしてその瓶《びん》は置いていないし、ショウガも出さない。それは、いま言った理由によるものだろう。
同じ中国語を喋《しやべ》るにしても、北京育ちの美女と一緒に行ったことがあった。
なにかの拍子に、中国人のマネージャーと話しはじめ、やがてその男が私に言った。
「このかたの中国語、わたしより上手ね」
正確な北京官話を使いこなしているという意味だが、そこまでになれば私も恥ずかしい気分などなくなり、むしろ満足した。